『二つの心』』....<Ⅲ>............................【髓心 : 7 / 20 】
と言いたくなるような出来事が増えてきているような気がしてなりません。
私なりの考えですが、大いに戦後の教育の影響があったと考えるべきだと思っています。第二次世界大戦後、教育のコンセプトは、帝国主義に対する思想の抑圧からの脱却であったように思います。もちろん、このときの時代の背景を考えると、自ら望んでというより、戦勝国からの押し付けであったことを否定するものではありません。
しかし、このこと自体に異存があるわけでもありません。個人の尊重、主権在民。あるいは自由と平等という概念を否定するものでもありません。この本来の思想は、人として生きるための最善の方法であるとも思っています。しかし、社会を構成する人としての基本と原理原則を身につけない者に対してまでも、その考えを尊重し、自己主張に耳を傾けなければならないとしたら、当然社会に適合しない考えや自己主張が大手を振って社会を席捲するのは、火を見るより明らかではないでしょうか。これを法律によって規制するのであれば、単に罪人を増やすことにならないでしょうか。
ルールを教えないで、ゲームをさせ、ルールを侵したら罰金。法律は、自ら助けるものを助けるようにできています。自らを法から助けるのではなく、自ら法を守れる常識を、まず教育されなければならないのではないでしょうか。もちろん、法律には必ず、公序良俗に反しない限り、とありますが・・・・・。
ルールによって成り立つものに、スポーツがあります、ほんの少し前までは、スポーツマンシップにのっとりとか、正々堂々とかの言葉が「かっこよく」見えました。
【山下は、準決勝の試合で、右足の筋断裂という重傷を負い、足を引きずりながら決勝戦の試合に臨んだ。対するエジプトのラシュワンは、山下の傷ついた右足を攻めなかった。そして山下は、ラシュワンを崩し、押さえ込んで金メダルを獲得した。】
1984年ロサンゼルス・オリンピックでの決勝戦の話です。