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「五輪書」から学ぶ Part-1
【地之巻】はじめに

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   【五輪書から】何を学ぶか?  

 五輪書といえば、宮本武蔵。戦国時代から江戸時代にかけての武芸者である事は、私の年代であれば今更、という位の有名人であろうと思います。

 この宮本武蔵を有名にしたのは、吉川英治(1892)(小説家)著作の『宮本武蔵』による所が大きいのではないでしょうか、1935年から連載が始まり、1939年まで続き、新聞小説史上かつてない人気があったようです。1939年と言えば第二次世界大戦の始まった年でもありますから、戦争に直面した人達の共感を得たものと思われます。

 吉川英治の『宮本武蔵』は、戦前の人達だけのものでなく、戦後生まれの私などにも大きな影響を与えています。
 書物は随分経ってから、全巻購入し読みましたが、なぜ小さいころから影響があったかと言いますと、私の幼少期は映画界の全盛期で、何度も「宮本武蔵」を題材にしたものが放映された記憶が残っています。自然と宮本武蔵の心情や考え方が、自分の考え方の基盤として、身に付いたものと思っています。
 当然それを受け入れる要素が、日本人には馴染みが深く、武士道そのものであったのかも知れません。
 しかし、大人になってから、「五輪書」を読んだり、その他の宮本武蔵像を知るにつけ、疑問を感じるようになったものです。

 自分が知っている宮本武蔵は、吉川武蔵であり、「宮本武蔵」本人とは若干違っていると思うようになったのです。

 武蔵は、「五輪書」の他に、「兵法三十五か条の書」や「独行道」、あるいは、書画「枯木鳴鵙図」や彫刻「不動明王本像」に至るまでその才能を、数々残しています。ここにも、武蔵に惹かれたり、憧れる要素が十分あるのかとも思っています。

 吉川英治の『五輪書』が出来る発端が、菊池寛(菊池賞)と直木三十五(直木賞)の宮本武蔵に対する評価、すなわち、宮本武蔵は、強かったのかそうではなかったのか、という論争に始まったと言われています。その結果生まれたのが新聞連載の『宮本武蔵』でしたから、菊池寛の名人説に賛成した吉川ですから、初めから宮本武蔵は、名人であるという検証のための物語であったわけです。

 現在では、「るろうに剣心」(作者:和月伸宏)の方が有名だと思いますが、一応武道家として、知っていても損にはならない「五輪書」ですから、何回かに分けて、空手の術として生かされる部分にスポットを当て、学んで行きたいと思います。

 まず、最初にお断りしないといけない事は、「五輪書」には原本が現存しません。すべて、写本という事です。その写本も数限りなくあるようですので、どれが元に近いかも研究段階です。以前は、細川家に残されている写本を底本として徳間書店より発行の『宮本武蔵五輪書』神子侃著を愛読していたのですが、今回は吉田家旧蔵(九州大学九州文化研究所所蔵)本を底本とし、細川家本を校合して整定したとする『五輪書』宮本武蔵[佐藤正英 校注・訳](筑摩書房)を参考文献としました。

 では、「五輪書」の構成について説明します。この辺りはご存知の方が多いと思いますが、念のため記載します。
 大枠は、地・水・火・風・空の五巻からなっています。それぞれに、地之巻・水之巻・火之巻・風之巻・空之巻と呼んでいます。

 次は地之巻の構成をみましょう。

  1. 地之巻序
  2. 兵法の道と云事
  3. 兵法の道大工にたとへたる事
  4. 兵法の道士卒たるもの
  5. 此兵法の書五巻に仕立てる事
  6. 此一流二刀と名付る事
  7. 兵法二つの字の利を知る事
  8. 兵法に武具の利を知ると云事
  9. 兵法の拍子の事
  10. 地之巻後書

 原文を訳してはもらえていますが、もう少し要約して説明できれば良いかなと、思っています。
 次回からは、原文と共に一つ一つ学んで行きたいと思います。
【参考文献】
 ・神子侃(1963-1977)『宮本武蔵 五輪書』 徳間書店.
 ・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

 
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