【五輪書から】何を学ぶか? |
「風之巻」は、全編他流の批判に終始一貫していましたが、ただ他流を批判するのではなく、兵法者全体に対して、陥りやすい傾向への戒めの言葉ではなかったかと思います。
また、「五輪書」に書かれたと言う事は、他流にではなく、二天一流を志す人に対しての、指標と共に戒めでもあるのではないでしょうか。
戦いに望んで、大きな物、頑丈な物、あるいは沢山の武器を所有したい気持ちは、誰にでも起こり得る気持ちでしょう。
また、非力な者は、より振り回しやすい短い武器を、器用に扱う事を鍛錬したいと思います。
私も随分考えなくはなりましたが、それは、歳のせいかも知れません。確固たる信念はまだまだ出来ません。
【風之巻】の構成
1. 兵法、他流の道を知る事 2. 他流に大なる太刀を持つ事 3. 他流におゐてつよみの太刀と云事 4. 他流に短き太刀を用ゆる事 5. 他流に太刀かず多き事 6. 他流に太刀の搆を用ゆる事 |
7. 他流に目付と云ふ事 8. 他流に足つかひ有る事 9. 他の兵法に早きを用ゆる事 10. 他流に奥表と云ふ事 11. 後書 |
11. 後書
右、他流の兵法を9カ条として、風之巻にあらまし書き付けた。一々流儀ごとに、とば口より奥に至るまで、明らかに書き記すべき所であるが、あえて何流のどのやり方と名前を書き記す事はしなかった。その理由は、流儀ごとの見立て、見解などの主張もあり、それぞれに思いがあり、同じ流儀でも、少しづつ違いはあるので、後世のために何流の太刀筋とも記述しなかった。
他流を大まかに見れば、九つに分けて、世の中の人の為す技を見れば、長い道具に偏ったり、短い道具を有利としたり、強度に偏ったり、荒い、細かいという事に拘る事は、皆異様な道である。
他流の口奥と表さなくても、皆、初めから人の知っている事である。
我一流においては、太刀筋に奥も口もない。構えにもきまりはない。ただ心をもって、その有利な所を弁える。これが兵法の肝心な所である。
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『私見』
後書きについては、その前の、2. 他流に大なる太刀を持つ事から10. 他流に奥表と云ふ事に書かれた9つの他流への批判に対して、少し軟化させるような文章も入れていますが、それでも、なんだか今で言う『上から目線』に映ります。
相当、当時剣術を生業にしている人達や、流派に対して、腹の虫が収まらないと言うのか、釈然としない思いが募っていたのではないかと、思います。
私などは、80過ぎの人から見ると、まだ若いと思われていますが、昨日も同年代のザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーでフォーク歌手のはしだのりひこ(本名・端田宣彦〈はしだ・のりひこ〉)さんが逝去されました。
自分自身では、まだ若いつもりではいますが、ニュースなどを見たり、一緒に空手界で役員をしていた人達が、次々と一足先に逝かれると、そろそろ覚悟して、身辺整理が必要かと思っています。いつお呼びがかかるか、分かりませんが、武蔵のように、情熱を失わないような人生を送りたいものです。
『他流の口奥とあらはさずとも、皆人のしるべき儀也。』の部分に共感を覚えています。
私は、人より勉強嫌いで、成績が著しく悪い学生時代を送りました。ですから、社会人になってからは、「あっ、そうか!」と合点する事の連続でした。特に30代半ばまでは、毎日のように「あっ、そうか!」と、言っていました。
ところが、しばらく経って、色々な情報が自然と、耳に、目に入ります。「凄い!」と思ったことも、とっくの昔に、誰かが、発見し、発明し、述べた事ばかりです。二番煎じ、どころか、百番煎じ、千番煎じである事に気付かされています。と、いうか、その専門家なら当然知っている事なのかも知れません。正に、武蔵が、「極意、秘伝と言っても、皆知ってる事だ」と言っている事と合致します。恥ずかしい限りです。
松濤館流の創始、船越義珍翁が残された、『謹慎謙譲 空手道最大の美徳』を忘れないようにしたいと、思います。
【参考文献】
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html
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