【いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸】『何れの道にも別れを悲しまず』と読みます。今回の文章には、下記の変体仮名、[元の漢字](読み方)が含まれていると、墨蹟から読み取りました。変体仮名は、私の書いたものです。
『独行道』は全部で21ヵ条から出来ています。今回は8条目ですから、概ね三分の一が読み終わりました。
この条を読んで、最初に感じたのは、情の深い人だと思った事です。でなければ、あえて、「悲しまず」とは書かないと思います。
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また、『平家物語』は、『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。』から始まります。
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『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。』ではじまる、方丈記にしても、『諸行』が『無常』である事に関心を向けています。
『生者必滅』も『会者定離』も、また『諸行無常』や『盛者必衰』も、別れと共にある言葉です。
そして儚い人の世を憂うと共に、真理であると思います。世の中で絶対という事があるとすれば、生きている人は、必ず死ぬと言う事だけです。それと共に会ったその日から、必ず別れが待っています。世の中は常に移り変わり、時は同じ時を決して刻みません。
歴史を振り返ってみますと、どんなに隆盛を誇っていても、いつか必ず衰退が待っています。時間というものから時計をイメージできますが、時間ほど不可解で認識する事が難しいものがあるのでしょうか。
人は、自分では解決出来ない事に、抗い、不安に思い、悲しみを抱きます。別れとはそんな、人間には手に負えない、事実です。
私の場合も例外なく、歳を経るごとに、色々な別れがありました。早い時期に、親友と呼べるような人とも、近年は仲の良い友人や先輩との別れが否応なくやってきます。無論その中に両親も居ました。死だけが人を別れ別れにするものではありません。色々な理由で、人は別れを余儀なくされます。時の流れとはそんなものです。
また、人との別れだけではなく、仕事や、住み慣れた家、環境などとも、何度となく別れを経験しました。
その度に、一抹の寂しさもあります。しかし、いつも言う「ものには仕方がある」とは逆に「仕方がない」事があるのも事実です。そんな時には、前にも言いましたが、諦めると言う仕方があると思っています。その諦めは、投げやりになり断念する事とは違います。全て明らかにすると言う事です。いわゆる、「諦観」する能力を人間は備えているのです。
「諦観」出来るようになると、悲しんでいる暇はありません。前に向かって生きていくだけです。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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