独行道を読む
【連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し】

【出典:熊本県立美術館 所蔵品  データベース   独行道】

 【 連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し、下の変体仮名が使われていると思いますので、「れんほの道思いよるこころなし」と読み、漢字を当てはめて、『恋慕の道思いよる心なし』とする事によって、少しイメージできると思います。

[連](れ) [本](ほ)  [与](よ) [古](こ) [奈](な)

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『独行道全文』

 

 

獨行道
一 世々の道をそむく事なし
一 身尓たのしみをたくま須
一 よろ爪尓依怙の心奈し
一 身をあさく思世越ふかく思ふ
一 一生の間よく志ん思王須
一 我事尓於ゐて後悔を勢寸
一 善惡尓他を祢多無心奈し
一 いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸
一 自他共尓うら三をか古川心奈し
一 連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し
一 物毎尓春起古の無事奈し
一 私宅尓おゐてのそむ心奈し
一 身ひとつ尓美食をこのま須
一 末々代物奈留古き道具所持せ寸
一 王か身尓いたり物い三春る事奈し
一 兵具八各別よの道具多し奈ま寸
一 道尓於ゐて八死をいと王寸思う
一 老身尓財寳所領もちゆる心奈し
一 佛神八貴し佛神越太のま須
一 身越捨ても名利はすて須
一 常尓兵法の道を者奈礼寸
 正保弐年
  五月十二日 新免武藏
          玄信(花押)「二天」(朱文額印)
   寺尾孫之丞殿

 

 『五輪書』からは、想像できないような言葉が出てきました。吉川英治氏の『宮本武蔵』では、お通さんが恋愛の相手として描かれていますが、これは、あくまでも小説の中の出来事です。

 しかし、『独行道』で『恋慕の道』と60歳を過ぎて死を前にしても、記述しているのですから、当然好きな人がいて、思いが叶わなかったのか、それとも、兵法の道をとったかは別にして、ずっと引き摺って来たのだと思います。

 私達の思いは、因果関係で終結します。すなわち、原因があり経過があり、結果で終結します。しかし、原因と経過で結果が無ければ、経過がいつまでも続きます。

 例えば恋愛関係で言えば、人を好きになり、その相手と結婚しても、別れる事になっても、結果があります。
 しかし、途中で相手が居なくなったり、亡くなってしまったり、自分では理解できない事で、結果が突然くると、その結果に納得出来ずに、引き摺る事になります。

 この事が、恋慕の道と言う事ではないかと、思います。恋と言う字は、変な心と言う人がいますが、尋常ではない心になる事は、皆が体験している事ではないでしょうか。最近の恋愛事情は分かりませんが。

 その尋常ではない心に終わりがなく、いつまでも続く事は、精神衛生上決して良い事ではありません。しかし、引き摺っている事で、相手に対しての忠義立てと考える場合もあります。これも、身勝手な考え方だと思います。思い込みと言うのは、何かにつけて独りよがりなものです。どこかで、終結しなければなりません。

 この、どこかで終結しなければならない思いを、歌に、あるいは小説にする事によって、文化や芸術を作ってきました。日本には、数々の歌、物語として残っています。
 竹取物語、羽衣物語、松浦佐用姫物語などは、悲恋物語として、源氏物語や伊勢物語は恋物語として、今も伝えられています。また、百人一首などには、恋愛を題材にしたものが多数収録されています。

 人間とは悲しいもので、こうした文化や芸術に、その思いを発揮している内は良いのですが、行き過ぎると、今はやりのストーカーになってしまいます。本当に病気の人もいますが、この人達は、刑に服するより、入院されせるべきかも知れません。

 近松門左衛門の残した心中を題材にした物語も、行き過ぎた恋の終着点ではなかったかと、思います。もっと、残虐な結果を招いている史実もあります。

 しかし、最近は、色々な事情で、若者の間では、恋愛を経験しない人が増えていると聞きます。理由は、束縛観やメリットが無い、あるいは、面倒だからと言った、自己中心的な考えにあります。まあ、恋愛自体が、自己中心的でなければ、出来ないと思いますので、恋愛が持つ動物的な感情が、知識で考える自己中を包括するまでは、恋愛はできないのでしょう。

 武蔵が言うように、『恋慕の道思いよる心なし』突っぱねる事も、病気にならない方法だと思います。

 それでも、折角人間に生まれてきたのですから、一つや二つの恋愛は、経験しておくべきだと思います。座学で勉強するより、きっと自分の人生に役立ってくれることと思っています。

 ただし、草津節の一節に、
「お医者様でも 草津の湯でも ア ドッコイショ 惚(ほ)れた病(やまい)は コーリャ 治(なお)りゃせぬヨ チョイナ チョイナ
と言うのがありますから、取り扱いには、くれぐれも、厳重注意!

 『過ぎたるは猶及ばざるが如し』と何度か述べていますが、『いい加減』を見つけて、バランスを取るように心がける事の方が、修行僧のように寄せ付けない事より、楽しい人生を送れるように思います。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.