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独行道を読む
【いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸】

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【出典:熊本県立美術館 所蔵品  データベース   独行道】

 【いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸】『何れの道にも別れを悲しまず』と読みます。今回の文章には、下記の変体仮名、[元の漢字](読み方)が含まれていると、墨蹟から読み取りました。変体仮名は、私の書いたものです。

[尓](に) [王](わ) [可](か) [奈](な) [寸](ず)

 『独行道』は全部で21ヵ条から出来ています。今回は8条目ですから、概ね三分の一が読み終わりました。

 この条を読んで、最初に感じたのは、情の深い人だと思った事です。でなければ、あえて、「悲しまず」とは書かないと思います。 

★下のバーをクリックすると『独行道』全文が見えます!

『独行道全文』

 

 

獨行道
一 世々の道をそむく事なし
一 身尓たのしみをたくま須
一 よろ爪尓依怙の心奈し
一 身をあさく思世越ふかく思ふ
一 一生の間よく志ん思王須
一 我事尓於ゐて後悔を勢寸
一 善惡尓他を祢多無心奈し
一 いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸
一 自他共尓うら三をか古川心奈し
一 連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し
一 物毎尓春起古の無事奈し
一 私宅尓おゐてのそむ心奈し
一 身ひとつ尓美食をこのま須
一 末々代物奈留古き道具所持せ寸
一 王か身尓いたり物い三春る事奈し
一 兵具八各別よの道具多し奈ま寸
一 道尓於ゐて八死をいと王寸思う
一 老身尓財寳所領もちゆる心奈し
一 佛神八貴し佛神越太のま須
一 身越捨ても名利はすて須
一 常尓兵法の道を者奈礼寸
 正保弐年
  五月十二日 新免武藏
          玄信(花押)「二天」(朱文額印)
   寺尾孫之丞殿

 

 『生者必滅会者定離【しょうじゃひつめつえしゃじょうり】と言う言葉が記憶にあります。多分学生時代に知った言葉だと思いますが、どんな時に出会ったのかは定かではありません。「大涅槃経」(釈迦の臨終の様子を描いた経典)にその言葉があるらしいですが、この言葉しか知りません。

 また、『平家物語』は、『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。』から始まります。 

 『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。』ではじまる、方丈記にしても、『諸行』『無常』である事に関心を向けています。

 『生者必滅』も『会者定離』も、また『諸行無常』『盛者必衰も、別れと共にある言葉です。

 そして儚い人の世を憂うと共に、真理であると思います。世の中で絶対という事があるとすれば、生きている人は、必ず死ぬと言う事だけです。それと共に会ったその日から、必ず別れが待っています。世の中は常に移り変わり、時は同じ時を決して刻みません。
 歴史を振り返ってみますと、どんなに隆盛を誇っていても、いつか必ず衰退が待っています。時間というものから時計をイメージできますが、時間ほど不可解で認識する事が難しいものがあるのでしょうか。

 人は、自分では解決出来ない事に、抗い、不安に思い、悲しみを抱きます。別れとはそんな、人間には手に負えない、事実です。

 武蔵は、『何れの道にも別れを悲しまず』と自分の気持ちが崩れないよう、頑張っているように見えます。堪えているようにも見えます。ですから、私は、情の深い人だと思ったのです。

 私の場合も例外なく、歳を経るごとに、色々な別れがありました。早い時期に、親友と呼べるような人とも、近年は仲の良い友人や先輩との別れが否応なくやってきます。無論その中に両親も居ました。死だけが人を別れ別れにするものではありません。色々な理由で、人は別れを余儀なくされます。時の流れとはそんなものです。

 また、人との別れだけではなく、仕事や、住み慣れた家、環境などとも、何度となく別れを経験しました。

 その度に、一抹の寂しさもあります。しかし、いつも言う「ものには仕方がある」とは逆に「仕方がない」事があるのも事実です。そんな時には、前にも言いましたが、諦めると言う仕方があると思っています。その諦めは、投げやりになり断念する事とは違います。全て明らかにすると言う事です。いわゆる、「諦観」する能力を人間は備えているのです。

 「諦観」出来るようになると、悲しんでいる暇はありません。前に向かって生きていくだけです。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

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