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独行道を読む
【物毎尓春起古の無事奈し】

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【出典:熊本県立美術館 所蔵品  データベース   独行道】

 【物毎尓春起古の無事奈し、下の変体仮名が使われていると思いますので、「物毎にすきこのむ事なし」と読み、漢字を当てはめて、『物毎に好き好む事なし』とする事によって、少しイメージできると思います。

[尓](に) [春](す)  [起](き) [古](こ) [無](む) [奈](な)

 ここに書かれてある、『好き好む』と言う意味は、『独行道』21ヵ条の中には、同じような意味をもつ条項を、幾つか見る事が出来ます。

★下のバーをクリックすると『独行道』全文が見えます!

『独行道全文』

 

 

獨行道
一 世々の道をそむく事なし
一 身尓たのしみをたくま須
一 よろ爪尓依怙の心奈し
一 身をあさく思世越ふかく思ふ
一 一生の間よく志ん思王須
一 我事尓於ゐて後悔を勢寸
一 善惡尓他を祢多無心奈し
一 いつ連の道尓も王可れを可奈しま寸
一 自他共尓うら三をか古川心奈し
一 連ん本の道思ひ与る古ヽろ奈し
一 物毎尓春起古の無事奈し
一 私宅尓おゐてのそむ心奈し
一 身ひとつ尓美食をこのま須
一 末々代物奈留古き道具所持せ寸
一 王か身尓いたり物い三春る事奈し
一 兵具八各別よの道具多し奈ま寸
一 道尓於ゐて八死をいと王寸思う
一 老身尓財寳所領もちゆる心奈し
一 佛神八貴し佛神越太のま須
一 身越捨ても名利はすて須
一 常尓兵法の道を者奈礼寸
 正保弐年
  五月十二日 新免武藏
          玄信(花押)「二天」(朱文額印)
   寺尾孫之丞殿

 

『身尓たのしみをたくま須』
『身に楽しみを企まない』
「楽しみ」(信条)

〇『私宅尓おゐてのそむ心奈し』
『私宅において望む心なし』
「望み」(住)

『身ひとつ尓美食をこのま須』
『身一つに美食を好まず』
「美食」(食)
『末々代物奈留古き道具所持せ寸』
『子孫に残す価値ある骨董品を所持せず』
「骨董品」(子)
『王か身尓いたり物い三春る事奈し』
『我が身にいたり物は忌する事なし』
「持ち物」(衣)
『兵具八各別よの道具多し奈ま寸』
『武具は格別の道具を慎む』
「嗜む」(生活道具)
『老身尓財寳所領もちゆる心奈し』
『老身に財宝所領を持ちたい心なし』
「財宝所領」(経済力)

 以上は、『好き好む』を否定する言葉と類似する条で、21ヵ条の7ヵ条にあたり、この『物毎に好き好む事なし』と言う言葉を入れると8ヵ条になります、三分の一を超える条項に、興味が惹かれる事を戒めています。

 『物毎に』と断っていますので、全てのものが含まれると解釈できるのですが、あえて他の条項で、具体的な例を挙げています。

 そこで、各条を分類してみる事にします。
 概ね、(1)信条・(2)住・(3)食・(4)子・(5)衣(持ち物)・(6)生活道具・(7)経済力の事が書かれてあると思います。
 そして、今回の文章は、(8)行動を表していると分類してみます。
 (2)から(7)までは、次回以降に出てきますので、解釈はその時にする事にします。

 だとすれば、今回の『物毎』については、総括的な事も含まれますが、武蔵が言いたいのは、自分の行動についての戒めであったのでは、無いでしょうか。この行動への戒めでは、二つの事が含まれていると考えています。

 一つは、武蔵は多趣味、多芸であったと推測されます。しかし、色々な事に興味があればあるほど、時間的な制約の中で生きていますから、兵法に掛ける時間が少なくなります。ですから、必要な事以外には、興味を示さない、と捉える事ができます。

 もう一つは、何事にも好き嫌いと言う、先入観で物を見ず、目の前にやらなればならない事があれば、邪推することなく手を付ける。と言った考えが浮かびます。

 後者の方が、現在の社会生活をするのに、役立つ事だと思います。なぜなら、昔よりも知識が豊富になり、邪推する事が多くなっていると思うからです。

 空手でも、習う場合に一番大切なのは、素直な心です。 「教育」を考える!?でも記述しましたが、「瀉瓶」と言う精神状態が、結局、僅かな知識をひけらかし、変な口を挟むより、習得が早くなります。

 これは、空手だけではなく、新入社員でも同じ事が言えます。まず、素直な気持ちで、会社の事、仕事の事を覚えて身に付けてから、考えるようにすれば、出世の糸口が見えます。

 私は、何度か会社を変わっています。初めの頃は、会社の不具合が見えて仕方がなかったのですが、三か月程経ってみたら、何のことは無い、自分が入った事による不具合が目立っただけでした。

 それ以後、新入社員や社員を教育する立場になった時には、必ず、話をします。
 「波一つない池に、石を放り込んだら、波立ちます。波立ったのは、自分が波立てていたに過ぎません。しかし、波立ちが静まってから、池の水面下で見えない波立ちを感じる事が出来れば、それが問題で、解決の糸口になります。」まずは、受け入れる事が大切だと思います。
 これが、「好き好むことなし」ではないでしょうか。

 では、前者の解釈は、違うのでしょうか。私はすでに、古希を過ぎました。この年代になれば、取捨選択してから物事に取り掛かっても良いと思います。限られた人生を快活に生き抜くためには、必要な事かも知れません。

【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

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