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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【117】

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 今日の文字は『命名めいめい』です。子供に名前を付ける事を命名めいめいと言います。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百十六段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 命名

 
★『日露首脳会談:領土含む平和条約交渉の加速を合意』
(毎日新聞 2018/11/14 21:42)
「【シンガポール小山由宇】安倍晋三首相は14日夜(日本時間同)、訪問先のシンガポールでロシアのプーチン大統領と約1時間半会談した。北方領土での共同経済活動の進捗(しんちょく)状況を確認。領土交渉を含む平和条約締結交渉を加速させることで合意した。

 首相は会談冒頭、「重要な平和条約締結の問題についてしっかりと議論したい」と語りかけた。一方、プーチン氏は、首相の自民党総裁選の連続3選に祝意を示したうえで、「数年にわたって行ってきた対話を今後とも継続していきたい」と応じた。——–後略——–」

 私は、ソビエト社会主義共和国連邦と呼ばれた時代に、1ヵ月ほどモスクワなどをバレーボールの選手として転戦しました。

 毎日オリンピックの金メダリストを交えた、レセプションに参加しましたが、今は知りませんが、汽車の中でも軍事施設のある場所を通る時には、窓のカーテンを全て閉じて、外が見えなくしました。汽車の中に兵隊がいて監視されているように思いました。

 かなり記憶も薄れてきていますが、カメラのフィルムを抜き取られたと記憶しています。

 ただ、ソ連の個人個人の人達は、とても朗らかで、通訳の人もみんな良い人だったように思います。

 折角、プーチン大統領は、日本の柔道をされていて、その心も習得されているはずですから、出来ればプーチン大統領が在任中に平和条約交渉だけでなく、良い関係になればと思います。

★『「今オレは」を連発する山下貴司法相への不安』
(「週刊文春」編集部 2018/11/15 07:00)

「——–前略——– 政治家転身のきっかけは民主党政権時代の2010年に起きた尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件。中国人船長が処分保留で釈放された際に、仙谷由人官房長官が「那覇地検が判断した」と述べたのを見て憤激した。「政治的判断の責任を検察に丸投げして、冗談じゃねえ」と即座に辞任を決意、自民党の公募に応じた。2012年初当選の「魔の三回生」だが、仲間と群れない一本気で、渾名は「漢(おとこ)山下」。ルックスには自信があるらしくジェルで髪の毛をしっかりと塗り固め、鏡でチェックする様がしばしば目撃される。同氏をよく知る女性記者は「ちょっとナルシストっぽいところがあるかも」と笑う。
——–後略——–」

 今注目の法案「移民受け入れ法案」出入国管理法改正案の審議を担当する山下貴司法相ですが、あまり良い印象を与えない、文春の記事です。

 大臣になると、何か落ち度がないか、野党だけではなく、マスコミも探し出して、やり玉に挙げ、引きずり降ろそうとするようです。

 片山さつき大臣にしても、まず仕事をしてもらって、その結果を国民が見れば良いと思います。個人的には裏表が見えて好きな人ではありませんが、それと仕事は切り離して考えるべきだと思います。

 ただ、大臣になった理由も自分では、理解できない人は、いくら人が良くても辞退するべきだと思うのですが・・・・・。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百十六段 〔原文〕

 寺院の、さらぬ萬の物にも名をつくること、昔の人は少しも求めず、唯ありの侭に安くつけけるなり。この頃は、深く案じ、才覺を顯はさむとしたる樣に聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目馴れぬ文字をつかむとする、やくなき事なり。

 何事も珍らしき事を求め、異説を好むは、淺才の人の必ずあることなりとぞ。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『  寺院の称し方や、その他全てのものに名前を付けるが、昔の人は少しも迷わないで、ただ思うまま簡単に命名した。
 近頃は、深く考え、才覚を表そうというように見える。非常に鬱陶うっとうしい。人の名前も見慣れない文字を使おうとしている。何の役にも立たない。
 どんな事でも、珍しい事を求めて、異説を好むのは、浅学の人が必ずやってしまう。』

 

 

『命名』

 最近は、キラキラネームと言うのが流行っているので、鎌倉時代の末期にも同様の事があったのでしょうか。時代は繰り返すと言いますから、頷く部分はあります。

 それでも、キラキラネームに挙げられているものは、別にして、やはり命名となると、物であれ人であれ、一生その名前で呼ばれるのですから、熟慮するのが、人の情というものでしょう。

 何も、才覚を表すと言う人だけでも無いとは、思います。私が人の情と書きましたが、自分の子供などに名前を付ける時に、やはりその子が幸せになるように考えるのは、人の情けと言うものでしょう。いい加減につける事はしないと思います。

 私は、日本空手道髓心会を開く時に、やはり『髓心』と言う名前には、思い入れもありますし、目的でもありますので、熟慮した覚えがあります。

 簡単に付けがちな、ペットの名前にしても、誰も『1』『2』とは付けないでしょう、図書コードではないのですから。

 『昔の人は少しも求めず、ただありのままに安くつけけるなり。』とかかれていますが、本当にそうなのでしょうか。

 奈良時代の寺院の名前ですが、法隆寺、薬師寺、唐招提寺等の名前は知っていますが、そんなに簡単に名前を付けたのでしょうか。

 結構熟慮して建立の意味を名前にしたと思います。例えば法隆寺には、斑鳩寺を再建した時に人々は「法隆学問寺」と呼んだそうで、これが法隆寺になったとする説がありますが、これも仏法の興隆を意味したのだと推測します。

 薬師寺などは、薬師如来から名づけられたと思いますし、唐招提寺も、鑑真和上が修学の為に建立したとされ、唐は「広い」そして、招提は「四方」の意味で、やはり簡単には命名されていないと思っています。

 かと言って、奇を衒うような命名は、私も好きではありません。命名だけではなく、全ての事に対して、人目を引くような奇抜な事を好みません。ですから、芸術でも武道でも同じ感覚でものを見ます。

 それが正しいのか間違っているのかは分かりません。好みの問題です。

 なぜ、正しいのか否かではないかと言いますと、私の好みだけではなく、時代によって、珍しいのか普通かも変わるからです。

 例えば今、ちょんまげを結っている人を見ると、珍しさを通り越して、おかしく感じます。お相撲さんは別ですが。
 
 逆に皆がちょんまげを結っている時代に、髪の毛を切ると散切り頭と言いますが、明治の初期には「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と文明開化の象徴と言われました。

 この散切り頭などは、そのちょっと前まで、身分制度の外に置かれた身分の低い人がさされていた髪型ですから、時代が変われば、考え方が違うようになるのだと思います。

 ですから、奇を衒う事を好ましく思わないのも、その時の常識に照らし合わせて感じるだけです。

 ただ、ピカソなどは、前衛的な物を描く前の作品の方が、個人的には好きです。

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