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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【118】

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 今日の文字は『とも』です。友達の友です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百十七段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 
★『気軽に行動できるけど…高齢者の電動自転車、死亡事故増』
(朝日新聞デジタル 田中恭太2018年11月15日13時30分)

「電動アシスト自転車に乗車中の高齢者が、事故で死亡するケースが増えている。運転免許の返納後の新たな交通手段や、自転車の運転を体力的にあきらめた年齢層の新たな「足」としての利用が広まる。ただ、体力や判断力の低下を理解したうえで乗る必要がありそうだ。——後略」

 かなり前から、高齢者の自動車の運転による事故のニュースを見て、私も古希を境に、免許の更新をしませんでした。ですから、今は免許証がありません。

 私は今のところ足腰は大丈夫ですから、自転車で十分ですが、出来れば歩く方が良さそうです。

 歳を取ると肉体的な回復よりも、劣る方が早いと感じています。ですから、筋力の衰えがなるべく進まないように、少しの負荷で毎日続ける方が良いと思っています。

 今のところは大丈夫ですが、妻に電動自転車がそろそろ必要か、とも思っているのですが、こういうニュースを見ると、思案してしまいます。

 妻も週に3回以上は、社交ダンスをやっていますので、歳の割には動けますが、それでも色々薬を毎日飲んでいます。私は、医者に行っていないので、多分どこも悪くないのでしょう。薬も何も飲んでいません。あっ、サツマイモは毎日食べています。

 しかし、電動自転車も結構重く、動いている時は良いと思いますが、高齢者用に開発が進めば良いと思います。例えば、三輪車にするとか、一旦停止の所では、必ず止まるとか、今の技術があれば色々アイデアはあると思うのですが、事故を未然に防ぐのも、人頼みの時代ではなくなりそうです。

 あおり運転も、人頼みではなく、機械頼みに出来ると思うのですが、素人考えですかね。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百十七段 〔原文〕

 友とするにわろき者、七つあり。一つには、高くやんごとなき人、二つには、若き人。三つには、病なく身つよき人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく勇める兵。六つには、虚言そらごとする人。七つには、慾ふかき人。

 善き友三つあり。一つには、ものくるゝ友。二つには、、醫師。三つには、智惠ある友。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『友を選ぶ時に悪い事が七つある。一つは高貴な人。二つ目は若い人。三つ目は病気をせずに頑丈な人。四つ目は酒を飲む人。五つ目は勇敢な人。六つ目は、嘘つき。七つ目が強欲な人。

 善い友には三つある。一つは物をくれる友。二つ目が医者。三つ目には智慧のある人。』

 

 

『友』

 私は、 友達は選ぶべきものではないと思ういますが、昔から言われている事から学ぶと、友達こそ選ばないといけないのかも知れません。

 私は学生時代から、友達をあてにしたり、友達を頼る事は、友達関係ではしてはいけないと思っています。それは友達は、利用する為にあるのではないと思うからです。

 友達は、なんの利害関係もなく、惹かれて仲間になる人と思っています。ですから、時には友達から教えられる事もあり、教える事もあるかも知れません。しかしそれは、一つの現象であり、目的でないと思っています。要するにギブアンドテイクの状態にはならない仲間です。

 ですから、ここに書かれてあるような事で人を選ぶことはしませんが、友達であっても、嘘つきは、既に友とは言えません。

 また、物をくれるからと言って、友達になるとも思えませんし、お医者さんだから友達になる事もないでしょう。

 確かに、物の損得を考えた時には、このような人を取捨選択するとは思いますが、友達は、物の損得を考えないから友達になるのではないかと、思います。

 半面、「朱に交われば赤くなる」と言われるように、友達からの影響も大きな要素であるとは思います。しかし、これも自分が信念を持って生きていれば、悪く染まる事も無いとは思っています。私は、悪く染まるよりも、良いように染まる方が多いと思います。啓発される事も友達を持つとしばしばあると思います。

 なぜ、啓発されるかと言うと、他の人の言う事には耳を貸さない場合でも、友達の言う事なら素直になれる場合があると言う事です。これは、自分が先生と呼べる人でも同じだと思います。特に利害関係がある人でなくても、その人の言う事なら、聞く耳が持てると言う事も、今までは多かったように思います。

 友を選ぶと言うと、直ぐにこの歌が浮かびます。

    1. 妻をめとらば 才たけて
      みめ美わしく 情けある
      友を選ばば 書を読みて
      六分の侠気 四分の熱
    2. 恋の命を たずぬれば
      名を惜しむかな 男子ゆえ
      友の情けを たずぬれば
      義のあるところ 火をも踏む
    3. 汲めや美酒 うたひめに
      乙女の知らぬ 意気地あり
      簿記の筆とる 若者に
      まことの男 君を見る
    4. ああわれダンテの 奇才なく
      バイロン、ハイネの 熱なきも
      石を抱きて 野にうたう
      芭蕉のさびを よろこばず

 詩人である、与謝野鉄幹の作詞である「人を恋ふる歌」ですが、この歌でも自分が主体となって、友は選ばれる側になっています。

 私は自分が選ぶ側にあるよりも、この人いいな、と思う人や、この人凄いな、とか、偉いな、と言う人から選ばれるような自分でありたいと思っています。

 これが、兼好法師の信条なのか、それとも、またある人の言葉なのか、いずれにしても私には、受け入れがたいものです。

 『一つには、高くやんごとなき人。』とありますが、高貴な人の中で、お高くとまっているような人は、高貴だからではなく、私には育ちが悪いと思ってしまいます。ですから、高貴だからと言って毛嫌いするのも偏狭でしょう。

 『二つには、若き人。』人はみんな若い時があります。私だって、昔から禿げていた分けでは無く、長髪の時もあったのです。ただ若いと言うだけで排除するのもどうかと思います。若いからこそいい面がある場合もあると思います。

 『三つには、病なく身つよき人。』これは、弱い人の気持ちに寄り添う事が出来ないと言う意味で捉えているのでしょうか。私は強さこそ優しさに通じると思います。強いからこそ余裕が生まれます。健康が一番です。

 『四つには、酒を好む人。』私の友人は、ほとんどが酒豪でした。しかし、酒に飲まれる人はいませんでした。酒におぼれる人は好みませんし、人に奢ってもらう事を目的にしている酒好きも、哀れに感じます。出来れば私も楽しく酒を飲めれば良いのですが、最近はまったく飲めなくなりました。

 『五つには、たけく勇める兵。』強い人は好きです。でも頼る事はしません。ただ、粗暴な人は好きではありません。ある程度の強さは生まれついての身体つきや身体能力がありますが、それ以上の強さは、その人の弛まぬ努力の賜物です。ですから尊敬に値すると思います。

 『六つには、虚言そらごとする人。』これは言うまでもなく嫌いです。友人だけではなく、嘘は自分を窮屈にしてしまいます。

 『七つには、慾ふかき人』これもほどほどでしょう。人間本来無一物と達観できる人ばかりであれば、出家も修行もいりません。

 『善い友には三つある。一つは物をくれる友。二つ目が医者。三つ目には智慧のある人。』と最後に書かれてありますが、三つ目以外は善い友と言えるのでしょうか。

 仮に、友達からプレゼントされたら、それはうれしい事です。そして、仮に友人が医者であれば助かる事もあります。しかしそれは、偶然であり、必然とは思えません。

 私も子供が病気の時に、友人が医者であった事で助けてもらった事があります。確かに知り合いに、その専門家がいると、便宜を図ってもらえます。

 だからと言って、そんな事を期待して友達を選ぶとしたら、自分自身を、誰も友人として扱ってくれないと思いますし、まず友人に選んでくれそうにもありません。

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