今日の文字は『記き 』です。記しる すと言う事です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百三十二段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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記
★『東アフリカ人類発祥説に異議、アルジェリアで240万年前の石器発見』(AFP 2018/11/30 18:19)
「【AFP=時事】北アフリカのアルジェリアで、240万年前のものとみられる石器と、切断された動物の骨が見つかったとする研究報告が29日、米科学誌サイエンス(Science)に発表された。東アフリカを人類発祥の地「人類のゆりかご」とする学説に疑問を呈している。
—–中略—–
論文は「ヒト科の祖先が初めて石器を使用した地は、東アフリカだと広く考えられている。最古の事例は約260万年前にさかのぼる」と指摘した上で、「今回の新たな発見によってアインブーシェリ(Ain Boucherit)は、ヒト科が石器と共に肉を使用した現場の証拠がある北アフリカ最古の遺跡となった。他にも、東アフリカ大地溝帯(Eastern Africa Rift)の外で同様の初期人類の遺跡が見つかる可能性を示唆する結果だ」と主張している。
仮説の一つは、現在の人類の初期の祖先が石器を東アフリカで使用してから間もなく、アフリカ大陸の他地域に持ち込んだというものだ。
もう一つの仮説は、東アフリカと北アフリカの両方で初期人類が石器を作り、使用していたとする「複数起源説」だ。
見つかった石器は2つの時代にまたがっており、240万年前のものと190万年前のものだった。これまで北アフリカで見つかった最古の石器は180万年前のもので、今回の発見は、従来説より少なくとも60万年早く人類の祖先が北アフリカに存在していた可能性を示唆している。
ただ、ヒト科の骨はまだ見つかっていない。このため、今回の発掘場所で石器を使っていたのがヒト科のどの動物なのか、あるいは後世に出現する現生人類(ホモ・サピエンス)の「古い親戚」なのかは、研究チームにも不明という。
【翻訳編集】AFPBB News」
私は、こういう学説は、その時、その時によって覆されるのが学問かも知れない、と思う事にしています。
学者と言う人には悪いですが、事実であるように報じておきながら、何年かすると、新しい学説が出てきます。
教科書にまで載った事が、ある年から消されていたり、何を信じて良いのかも判らないと思っています。
役に立つ学問を一生懸命されている人もいるとは思いますが、研究をするのは良いと思いますが、発表は事実だけにしてもらえると助かるのですが。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第百三十二段 〔原文〕
鳥羽の作り道は、鳥羽殿 建てられて後の號な にはあらず。昔よりの名なり。元良親王、元日の奏賀の聲、はなはだ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作り道まで聞こえけるよし、李部王りほうおう の記に侍るとかや。
『現代文』
まず、我流で現代文にしてみましょう。
『 鳥羽の作道は、鳥羽殿が建造された後で命名されたのではない。昔からある名前である。
元良親王が元日に祝賀の声がとても優れていて、大極殿から、鳥羽の道まで聞こえたと、李部王りほうおう の記に記されているという。 』
『記 』
『鳥羽作道は平安京の造営に伴い、羅城門からまっすぐ南へ造られた道です。平安時代は難波からの外国人使節の入京路で、物資の輸送路でもあり、鳥羽離宮造営時には行幸路であったと考えられています。』( 出典:京都歴史散策マップ 発行 京都市・(財)京都市埋蔵文化財研究所)
このような記述がありますから、鳥羽殿すなわち鳥羽離宮の建造時には、行幸路が既にあったようです。
残念ながら、李部王りほうおう の記《李部王記;延長八年九月ヨリ天慶六年八月ニ至》(出典:東京国立博物館デジタルライブラリー)を見て見ましたが、私には探せませんでした。ちなみに、延長8年は西暦931年、天慶6年は西暦944年に当たると思います。
鳥羽離宮が最初に創建されたのが、1001年に白河上皇と言う事ですから、李部王りほうおう の記に、もし、鳥羽の作道という記載があったとしたら、鳥羽離宮が創建された、遥昔と言う事になるのだと思います。
誰かが、鳥羽の作道と言うのは、鳥羽離宮が創建された事を由来とするとでも、言ったのでしょうか。兼好法師は、それに対して、李部王りほうおう の記を持ち出し、既に前からあったのだと、言った話だと思います。
しかし、徒然草の79段に『何事も入りたたぬさましたるぞよき 』 との記述がありました。私が現代文にした内容が『どんな事でも精通したふりをしない方が良い』 でした。前に兼好法師の書いたのは兼好法師の理想でしょうか。
私は、知っている事は、お高く止まらないで、素直に話せば良いと思います。もちろん、如何にも教えてやろうと言う態度は、良くないとは思います。
大体、普通の人間は、知っていると言ってもたかが知れていると思うのです。それを如何にも自分は賢いとばかりに披歴しても、皆が知っている事だと思います。反って墓穴を掘って恥ずかしい思いをすると思います。
第79段でも書きましたが、知っているのに勿体ぶっている ように思えます。
しかし、教えるつもりがなくても、教えられたと勘違いしてしまう人もいるようです。
教えられると感謝するのが普通だと思いますが、相手のプライドが高くて、しかも上司の場合は、【『礼と節』を表現してみよう。Part-3】にも記載しましたが、次のような事がありました。
私が勤めている会社の社長が、私に携帯電話の設定の仕方を聞いて来たのです。そこで、私は何の気なしに、「教えます」と言ったのだと思います。記憶が定かではないので、何とも言えませんが。
そしたら、社長が、「こいつ、俺に教えるってよ」って言ったのです。江戸っ子ですから、東京弁で。
私は「えっ」と、息が詰まる思いでした。そんなに、上から目線で言ったつもりはないのですが、社長はそう取ったのだと思います。
もしかしたら、社長の聞き間違いかも知れませんが、兎に角社長に、そう取られたのは、事実です。ちょっと、気まずい空気に包まれました。
この社長は、国立大学を出た頭の良い人でした。
私から言うと、教えるとか教えられるといった類ではないと思っています。ちょっと、マニュアルを読めば済む事ですから。
そんな風にこの段を読むのも、兼好法師の意図とは違うかも知れません。
兼好法師はただ、歴史の資料として、鳥羽の作道が鳥羽殿が建造される以前から、名前が付けられていたと言いたかっただけかも知れません。
真意のほどは分かりませんが、歴史的な資料にはなっているようです。