文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【140】

 今日の文字は『はな』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百三十九段』を読んで見て、感じた文字です。

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  今日は花尽くし。写真は「百日紅さるすべり」、「ひゃくじつこう」とも読むそうです。開花時期は七月中旬から三か月位です。

 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百三十九段 〔原文〕

 家にありたき木は、松・櫻。松は五葉もよし。花は一重なるよし。八重櫻は奈良の都にのみありけるを、この頃ぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の櫻、皆一重にてこそあれ。八重櫻は異樣のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなん。遲櫻、またすさまじ。蟲のつきたるもむつかし。梅は白き、うす紅梅。一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、みなをかし。おそき梅は、櫻に咲き合ひて、おぼえ劣り、けおされて、枝に萎みつきたる、心憂し。「一重なるがまづ咲きて散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなむ軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二もとはべるめり。柳、またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて萬の花・紅葉にも優りてめでたきものなり。橘・桂、何れも木は物古ものふり、大きなる、よし。

 草は山吹・藤・杜若・撫子。池にははちす。秋の草は荻・薄・桔梗きちこう女郎花おみなえし・藤袴・しをに・吾木香われもこう刈萱かるかや龍膽りんどう・菊・黄菊も・蔦・葛・朝顔、いづれもいと高からず、さゝやかなる、垣に繁からぬ、よし。この外の、世にまれなるおの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。

 大かた、何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうの物、なくてありなん。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『家で植えたい木は、松と桜。五葉の松も良い。桜は一重が良い。八重桜は奈良の都だけのものだったのが、今ではあちこちにある。吉野の桜も左近の桜も皆一重だから良い。八重桜は異様である。たいへん煩わしくひねくれている。植えなくても良い。遅咲きの桜もおもしろくない。虫が付いているのも気味悪い。

梅は白、薄紅が良い。一重の花が早く咲くのも、八重の紅梅の香りも趣がある。遅咲きの梅は、桜と時期が重なり、注目されず、桜に圧倒され、枝の花がしぼんでいるようで情けない。「一重なるがまづ咲きて散りたるは、心疾く、をかし」と京極入道中納言は、さらに一重梅を軒先に植えられた。京極の屋の南側に、今も二もと植わっている。柳もまた趣がある卯月(陰暦四月の別名、夏にかけて)の若い楓は、あらゆる花・紅葉にも優り、良い。橘・桂、何れも木は古木で、大木が良い。草は山吹・藤・杜若かきつばた・撫子。池にははす。秋の草は荻・ススキ・桔梗ききょう女郎花おみなえし・藤袴・紫苑・吾木香われもこう刈萱かるかや・りんどう・菊・黄菊も・蔦・葛・朝顔、どれも丈が小さく、こじんまりしている、垣根に生繁ないのが良い。これ以外の、珍しい物、唐由来の名の分かりにくい、見慣れない花も、さほど懐かしくはない。

大体、何でも珍しく希少な物は、身分の低い人が喜ぶ。そんな物は無くてよい。』

 

 

『花』

 「花は桜木 人は武士 柱は檜 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの」と一休宗純の言葉とされています。頓智で有名な一休さんのモデルです。

 これは、一休さんが選んだ一番のものです。この中の「小袖はもみじ」と言うのは、当時の貴族の着る「うちき」はもう古いと世代交代を表していると言う説もあります。

 兼好法師が、これだけ限定して、あれは良い、これは悪いと言っている理由が、全て個人的な主観にしか思えません。

 私の個人的に好きな「花」は、「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」と江戸中期の俳人滝野瓢水たきのひょうすいが作ったとされる俳句にでてくる蓮華草です。

 蓮華草れんげそうが野に咲き誇っているのは圧巻で、遠くから見るとまるで絨毯のようです。

 それと、百日紅さるすべり、この花は長く綺麗なままで咲いているように思います。それと、ハナミズキも綺麗だと思っています。どちらも公園で練習している時に見かけた花です。

 そんなに花に趣味がある分けではありません。ですが、エンジェルトランペットと言う花は、好きではありません。兼好法師の言うように、こじんまりしている方が、可憐で綺麗だと思います。

 例えば、下の写真の「すずらん」も可愛いと思いますが、かなり強い毒性があると最近知りました。


 大体小さい物が好きなんでしょうね。多分小心者なのかも分かりません。