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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【225】

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 今日の文字は『無益むえき』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百二十四段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 無益

 

☆『声を荒らげて発言」の内閣法制局長官が答弁を謝罪・撤回』
(毎日新聞 2019/03/06 18:18)

 「内閣法制局の横畠裕介長官は6日の参院予算委員会で国会の行政監視機能について説明する中で、立憲民主党会派の小西洋之氏の質問について「このような場で声を荒らげて発言するようなことまで含むとは考えていない」と批判し、謝罪・撤回に追い込まれた。小西氏は「法制局長官が国会で政治的な発言をしたのは初めて聞いた」と批判した。

 小西氏は、安倍晋三首相の答弁が時間稼ぎだと批判して「聞かれたことだけを堂々と答えなさい」と強い口調で要求。「国会議員の質問は国会の内閣に対する監督機能の表れだ」と主張し、こうした趣旨の政府答弁書があるかの確認を横畠氏に求めたところ、問題の発言が飛び出した。

 議場は騒然とし「越権だ」との声が次々にあがり審議は2度中断。横畠氏は「声を荒らげてという部分は、委員会で適否を判断すべき事柄」と認め、「評価的なことを申し上げたことは越権で、おわびをして撤回させていただく」と答弁した。

 「法の番人」とも称される内閣法制局のトップの答弁の謝罪・撤回は極めて異例だ。【遠藤修平】」

 この部分だけ見ると、確かに内閣法制局の横畠裕介長官は、言ってはいけない事をいったと思います。確かに越権行為であり、ルール違反です。

 しかし、私はこの国会中継を見ていました。立憲民主党会派の小西洋之氏の度重なる安倍首相に対する失礼極まりない発言に、業を煮やして、つい失言をしてしまったように思います。

 その夜のテレビ朝日「報道ステーション」でも、この問題を取り上げていました。ただ取り上げるのは良いとしても、コメンテーターである後藤謙次(ジャーナリスト 白鴎大学特任教授) さんが、内閣法制局の横畠裕介長官の発言に対し辞任要求すべき問題であると言ったと思います。また、国会では暗に相手を誹謗中傷するような論議が行われて然るべきかのような発言もされました。

 私は、もしそうであるなら、日本の国会も全く進歩がないと、非常に残念に思いました。

 議論と言うものをはき違えています。強い言葉、強い態度で議論が進むとしたら、子供の喧嘩と同じです。少なくとも国民の代表と言われるような人達が、相手の人格まで否定するような発言があって、議論ができるとするなら、この人達は議論の初歩から勉強し直すべきでしょう。

 しかも、立憲民主党会派の小西洋之氏は、テレビを意識してまるで、言ってやったとばかりのパフォーマンスを見せていました。

 「聞かれたことだけを堂々と答えなさい」と言う言葉は、一国の首相に投げかける言葉ではないと、思います。この発言に対して立憲民主党会派の小西洋之氏は、個人ではなく、会派の代表だから、国民の代表だからと言っていましたが、立憲民主党は、国民の代表ではありません。代表の中の一部です。

 たとえ、百歩譲ったとしても、会派の代表であれば、何を言っても良いわけではないと思います。言葉遣いには注意した方が、折角のパフォーマンスも逆効果だと思いました。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百二十四段 〔原文〕

 陰陽師 有宗入道、鎌倉より上りて、尋ねまうできたりしが、まづさし入りて、「この庭の徒らに廣き事、淺ましく、あるべからぬことなり。道を知るものは、植うる事をつとむ。細道ひとつ殘して、みな畠に作りたまへ」と諫め侍りき。

 誠に、すこしの地をも徒らに置かむことは、やくなきことなり。食ふ物・藥種などうゑおくべし。

 
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『現代文』

『陰陽師有宗入道が鎌倉から京に上り、訪ねてきたが、まず家に入って「この庭はいたずらに広い。情けなく、あってはならない。道を知るものは、植物を植える事に勤める。細い道をひとつ残して、みんな畑にしなさい」と諫められました。

 本当に、少しの土地も無駄にする事は、無益である。食べる物、薬になる物を植えて置くべきでした。』

 

 

『無益』

 徒然草を見ていると、庭に対して、兼好法師は、荒れていて花も枯れているのを趣があるような表現の仕方をしている段もあります。

 しかし、出家して遁世を勧める人が、そんなに広い庭のある家に住んでいたと考えると、畑にするとかという問題よりも、そちらの方が腑に落ちません。

 陰陽師に言われるまでもなく、もっと簡素な佇まいの方が、出家者には向いていると思うのですが・・・・。

 もちろん、時代背景もありますし、兼好法師の住まいは、それでも質素だったのかも知れません。

 ただ、これは出家遁世を基準に推測したのであって、歌人としては、自分の庭ではなく、もっと自然を愛したのかも知れません。

 そこでも、疑問が出てきます。兼好法師が言う、片田舎の表現です。 徒然草二百二十段でも、『何事も邊土は、卑しく頑かたくななれどもと決して好ましい表現をしているとは思えません。

 自然に風情を感じるのであれば、都よりも片田舎に風情を感じると思うのですが、どうも歌人の感覚についていけません。

 私が感じる田舎と兼好法師の感じる田舎に、かなり隔たりがあるのかも知れません。もしかしたら、時代の背景によるものかも知れません。

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