文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【230】

 今日の文字は『どん』です。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百二十九段』を読んで見て、感じた文字です。

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☆『経団連会長「感情的な人と議論意味ない」原発巡る議論に』
(朝日新聞デジタル 2019/03/11 21:08)

 「経団連の中西宏明会長(日立製作所会長)は11日、自ら必要性を訴えていたエネルギー・原発政策に関する国民的な議論をめぐり、「エモーショナル(感情的)な反対をする人たちと議論をしても意味がない。絶対いやだという方を説得する力はない」と語った。

 原発の早期再稼働を求める立場から国民的議論を呼びかけた中西氏は2月、脱原発を求める民間団体から公開討論を求められたのに対し、「反原発を通す団体で議論にならない。水と油だ」などとして断った。「原発と原爆が結びついている人に『違う』ということは難しい」とも発言し、釈明に追われている。

 11日の定例会見で中西氏は、記者団から「東日本大震災以降、原発に関する国民の意識が変わったのでは」と問われたのに対し、「再生エネルギーだけで日本の産業競争力を高めることができればいいが、技術開発が失敗したらどうするのか。いろんな手を打つのがリーダーの役目だ」と指摘。「多様なエネルギー源を確保しなければ日本は立ちゆかなくなる。福島の事故から何年たとうが変わらない」と話し、電力業界への積極的な投資を呼びかけた。(加藤裕則)」

 経団連の中西宏明会長の言葉は、確かに経団連と言う立場から言うと、正しいのだと思います。

 しかし、経団連という立場の前に、人間である事を認識した方が良いのではないでしょうか。経団連の中西宏明会長から見ると、反原発を言う人は感情的に映るのかも知れませんが、果たしてエネルギーが人間にとって将来を見た時に原子力が絶対なのでしょうか。

 自分では絶対的に正しいと考えられる事も、地球、人間、生物と視点を変えると、原子力の開発は、今のところ、とんでもない、経済優先の人間のエゴとしてしか思えません。 それこそが感情的ではないのでしょうか。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百二十九段 〔原文〕

 よき細工は、少し鈍き刀をつかふといふ。妙觀が刀はいたく立たず。

 

『現代文』

『良い細工は、少し鈍い刀を使うという。妙観の刀はそれほど刃が立っていない。』

 

 

『鈍』

 直ぐに頭に浮かんだのは、『鈍感力』です。小泉元首相の発言で広まった言葉ですが、渡辺淳一さんの書いた「鈍感力」(集英社)の本を引用したのですね。

 『鈍感力』の場合、私はこの本は読んでいませんので、この意味する所は分かりません。しかし、人生の中で何度か鋭すぎるのも良くないと思った事があります。

 このブログでも記述した事がありましたが、私の空手の師である、故佐々木武先生(日本空手道致道会創始者)から、18歳の頃に、「三好、良い刀は鞘に入っているものだ、抜き身で歩いてはいけない」と言われた事がありました。

 その当時は、先生の目から見て狂犬のように映ったのかも知れません。今考えると、気持ちに余裕が無かったのだと思っています。

 また、ある日先輩から、「お前は、人殺しの目をしている」と言われた事もありました。

 どんな若者だったのでしょう。今考えると恥ずかしい限りです。

 ただ、この場合は鋭いと言っても、少し意味が違うと思います。理由は解りませんが、戦う事が日常だったと思います。

 働くようになってからは、色々考えさせられる事もあり、徐々に柔和な性格に変わっていったのでしょう。

 初めての仕事が、父親のもとで時計屋に従事することでした。商売人の子として育ったのですが、そんなにすぐに人は変われません。商売人としては最低だったと、今考えると思います。理由はもう覚えていませんが、お客さんの時計を床に叩きつけた事がありました。もう、「あほ」ですね。
 
 ですから、『鈍感力』を身に付ける前に、社会生活に適応する事から、私は、勉強しなければなりませんでした。

 ただ、物事に没頭する人間であった性格だったのでしょう。タイプとしては、物事を深く掘り下げないと気が済まない性格なのだと思います。

 そして、感受性は人並み以上にあるのでしょう。と、言うより自分が正しいと思う事に拘りが強すぎたのかも知れません。人の言動が気に障る事が多かったのだと思います。

 社会人になるまでは、それを暴力や威圧という手段で解決してきたと思うのですが、社会人になるとそんな事もしていられません。それでは犯罪者として社会から追放されるでしょう。

 ですから、毎日がストレスの連続だったように思います。しかも、良い刀になるために、抜き身ではなくなっていますから、見た目は好青年?だったと思います。しかし、性格が変わった分けでは無いので、内心は葛藤の毎日です。

 そこで、気に障らない方法を考えたのです。まず、自分が考えている正しい立ち振る舞いは、絶対ではないと。人により生まれも育ちも違う事に、遅ればせながら気付く事になります。

 もう一つは、自分が気に入らない態度をとる人の気持ちを、理解するように努めたのです。

 しかし、それでもストレスには違いありません。ですから胃潰瘍にもなりました。お医者さんからは、このままだと胃がんになるぞ、と脅された事もありました。

 今でも、人のちょっとした仕草や、言葉に反応して、苛立つ事があります。そんな時に『鈍感力』が大切であると、気を鎮める事にしています。「ならぬ堪忍するが堪忍」です。

 今の社会では、頭に来た方が損をします。 「五輪書」から学ぶ part-11「地之巻後書」の五番目にある「もの毎の損徳を弁ゆること」を考えると、確かに損得を越えるほどの出来事ではないのですから。

 この段にあるように、刃物は研ぎが鋭すぎると刃が立ちすぎて、直ぐに刃こぼれを起こします。また、焼き入れを鋭くすると、もろくなると思います。

 刃物に焼き入れをした事はありませんが、時計屋は、道具を自分で作ります。私はピンセットやドライバーは、買った物をそのまま使う事はありませんでした。必ず焼き入れをし、研ぎ直します。

 なぜそうするかと言いますと、買ったままの物は、自分の力加減に合わせて造ってはくれていません。ですから、経験上自分に合った道具を作り直すのです。

 焼き入れ過ぎると、簡単に折れてしまいます。かと言ってなまくらに焼が入っていると、曲がってしまいます。うまく焼き入れが出来ると、今使っているピンセットなどは、すでに45年も、研ぐことも焼き入れする事もなく使っています。

 『少し鈍き刀』少しがポイントになると思っています。