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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【232】

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 今日の文字は『自然しぜん』です。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百三十一段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 自然

 

☆『ワンセグ、NHK受信料は義務 最高裁、原告の上告退ける』
(共同通信社 2019/03/13 19:54)

 「テレビを視聴できるワンセグ機能付きの携帯電話を持つと、NHK受信料の契約義務が生じるかどうかが争われた4件の訴訟の上告審決定で、最高裁第3小法廷(山崎敏充裁判長)は13日までに、義務はないと主張する原告の上告をいずれも退けた。12日付。契約義務を認め、NHK勝訴とした二審東京高裁判決が確定した。同種訴訟が最高裁で確定するのは初めて。

 放送法64条は、NHKの放送を受信できる設備を設置した者は契約義務があると規定。自宅にテレビがなく、ワンセグのみで視聴した場合もこの規定が適用されるかどうかが争点だった。」

 どうも納得できる判決ではありません。テレビを購入する時も、量販店などで、その説明がされているのか、疑問です。

 最近は、テレビなどの情報で、購入した物が視聴可能であれば、視聴するしないの選択は出来ないようですね。であれば、視聴不可能に出来る構造にするべきだと思います。

 購入者にその選択が出来ないと言うのも、問題があるように前から思っています。

 最近の事情を知らないで、文句を言うのもいけないのですが、なんだか、釈然としません。

 視聴するかしないかの選択の自由はないのでしょうか。私の所は、光テレビに加入しているのですが、数年前にNHKからBSの請求が来ました。

 そこで、NHKに電話して、光テレビでは、契約しないとBSは視聴できない、と説明しました。最終的には相手(NHK側)が納得しましたが、もし光テレビの事情を知らなければ、視聴する事もできない契約料金を払っているところでした。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百三十一段 〔原文〕

園の別当入道は、さうなき庖丁者ほうちょうじゃなり。ある人のもとにて、いみじき鯉をだしたりければ、皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかがとためらひけるを、別当入道さる人にて、「この程百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべきにあらず。まげて申し請けん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、ある人、北山太政入道殿きたやまのだじょうにゅうどうどのに語り申されたりければ、「かやうの事、おのれはよにうるさく覚ゆるなり。切りぬべき人なくはべ、切らんと言ひたらんは、なほよかりなん。何条なじょう、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。 ちょうどよい機会といったふうにとりはからっているのも、

大方、ふるまひて興あるよりも、興なくてやすらかなるがまさりたる事なり。まれ人の饗応なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、誠によけれども、ただ、その事となくてとりでたる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉らん」と言ひたる、まことの志なり。惜しむよしして乞はれんと思ひ、勝負の負けわざにことつけなどしたる、むつかし。

 
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『現代文』

『園の別当入道は、比類なき料理人である。ある人のもとで、素晴らしい鯉を出した。皆、人は別当入道の庖丁さばきを見ようと思ったが、軽々しく言うのをためらっていたが、別当入道は気が利く人で、「この程、百日の間、鯉を切っていますので、今日だけ欠かす分けにはいきません。是非、申し受けましょう」と言って切られたのは、立派で相応しく、興味深いと人々が思ったと、ある人が北山太政入道殿きたやまのだじょうにゅうどうどのに伝えたところ「このような事、私はわざとらしく思う。切る人がいなければ、切りますと言った方が、なお良い。どういう理由で、百日の間、鯉を切るのだろう」と言われた事を、面白いと人が言われたのは、まったく面白かった。

 大体、ことさらに趣向をこらして面白くするより、面白くはなくても、普通にする方が優っている。客人をもてなすのも、誠に良いけれど、普段のようにされた方が、大変良い。人に物を与える時も、きっかけもなく「これを差し上げます」と言った方が真心が伝わる。惜しむ振りをしたり、欲しがられようと思ったり、勝負に負けた理由にするなど、見苦しい。』

 

 

『自然』

 「それとなく」と云うのが、礼儀と思います。

 ただ、北山太政入道殿きたやまのだじょうにゅうどうどのが言うような『おのれはよにうるさく覚ゆるなり。』と言うような、わざとらしさは感じません。

 逆に北山太政入道殿きたやまのだじょうにゅうどうどのが自分ならと『切りぬべき人なくはべ、切らん』と、言う方がもって回った言い方に聞こえてしまいます。

 この場合は、人が別当入道の包丁さばきを見ようと思っているのですから、「切る人がいないのであれば、」と言うと、「仕方なく」に聞こえるのではないでしょうか。

 それこそ、私なら「お言葉に甘えて、切らせてもらいます」程度に受ける方が素直に思うのですが。

 しかし、「さりげなく」と云うのも難しい振る舞いで、その「さりげなさ」が反って鼻につく場合もあります。やはり、TPOが大切だと思います。

 場合によっては、不意に『これを奉らん』と差し出されても、「何で」とその理由を考えてしまうのも、邪推なのかも知れませんが・・・・。

 また、差し出された物が、まったく不用の物の場合もあり、処置に困ってしまう場合もあります。

 やはり、人に物をあげるのであれば、喜んで貰える物を選びたいものです。結局は意に添わない場合もありますが、難しい事です。

園の別当入道

藤原氏北家の流れで中御門家の門流、持明院家支流。家柄は羽林家。藤原道長の子頼宗の後胤。鎌倉時代初めに持明院通基の孫参議基氏を祖とする。その孫基藤は庖丁の名人と伝えられ、《徒然草》にも園の別当入道として逸話を残している。江戸時代に、参議基任は、その女光子が後水尾天皇の後宮に侍し、後光明天皇の生母であることから、没後に左大臣を贈られ、基任の子基音も霊元天皇の外祖父として大納言になり、没後左大臣を贈られた。
(出典:世界大百科事典第二版 株式会社平凡社)

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