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文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【236】

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 今日の文字は『虚空こくう』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百三十五段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 虚空

 

☆『内閣支持率39%、不支持率41% 2月に続き拮抗 毎日新聞世論調査』
(毎日新聞 2019/03/17 16:53)

 「毎日新聞が16、17両日に実施した全国世論調査で、安倍内閣の支持率は2月の前回調査から1ポイント増の39%で、不支持率は同2ポイント増の41%だった。2月に続いて支持と不支持が拮抗(きっこう)した。

辺野古移設で県民投票後も工事続行に「反対」52%

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめぐり、「移設反対」が多数となった沖縄県民投票の後も政府が辺野古沿岸部の埋め立て工事を続けていることに対し、「反対」が52%と半数を超えた。「賛成」は29%。

調査の方法

 3月16、17日の2日間、コンピューターで無作為に数字を組み合わせて作った固定電話と携帯電話の番号に調査員が電話をかけるRDS法で調査した。固定では、福島第1原発事故で帰還困難区域などに指定されている市町村の電話番号を除いた。固定は18歳以上の有権者のいる741世帯から418人の回答を得た。回答率56%。携帯は18歳以上につながった番号646件から525人の回答を得た。回答率81%。」

 世論調査は、科学的な手法でされていると思うのですが、これが国民の総意とも思えません。

 確かに、組織と言うものは、ある程度の時期になると、TOPの人事は変えて行った方が、良い場合が多いと思います。

 組織は、同じ人が引っ張ると、やはり淀んでしまうのでしょう。一定の時期に世代交代する必要がありそうです。

 しかし、この世論が全てではなく、多分にマスメディアによって人為的に情報操作されているように感じます。

 自分の目で見て、自分の感性で感じて、情報を考える習慣をつけないと、知らない間に、一つの思想に偏ってしまい、正確な判断ができない人間になってしまっているかも知れません。
 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百三十五段 〔原文〕

ぬしある家には、すずろなる人、心のままにり来る事なし。主なき所には、道行きびとみだりに立ち入り、狐・梟やうの物も、人気ひとけにせかれねば、所得顔ところえがおに入りみ、木霊こたまなどいふけしからぬかたちも、あらはるるものなり。

又、鏡には色・かたちなき故に、よろづの影きたりてうつる。鏡に色・かたちあらましかば、うつらざらまし。
虚空こくうよく物をいる。我等が心に念々ねんねんのほしきままに来り浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主あらましかば、胸のうちに、若干そこばくのことは入り来らざらまし。

 
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『現代文』

『主人のいる家に、用もない人が、ふらっと入って来る事は無い。主人のいない所に、道行く人がみだりに入り、狐・梟のような物も、人の気配に邪魔されなければ、得意げに入って棲み、木霊こたまなどと云う異様な姿をしたものも、現れるものである。

 また、鏡には色・形が無い為に、あらゆる物の形が映る。鏡に色・形があれば、映らないはずである。

 虚空はたいそう物を容れる。我々の心に勝手気ままに一つ一つの思いが浮かぶのも、心というものが無いからであろうか。心に主があれば、胸の内に、沢山の事は入り込まないに違いない。』

 

 

『虚空』

 心というものと、家や鏡と云う物体と同列に扱っても答えはでません。明らかに、考え違いであると思います。

 少なくとも仏教に身を置く法師の考える事としては、「空」と云うものの捉え方に問題があるように思います。

 兼好法師の引用の仕方には、これまで色々と飛躍がありすぎて、私には支離滅裂と映ったのですが、今回も同様です。

 まず、空家に人が自由に入り、また動物の類が巣をつくる事は、自然界の道理だと思います。何も主人が居るから、と云った理由ではなく、追い出されたり、主人がその場所を確保するために、常に用心しているからに他なりません。

 鏡が色々な物を写すのは、当時は理解出来なかったかも知れませんが、単なる光の反射によるもので、物理的な道理です。

 虚空に色々な物が存在するのは、まだ科学的な解明は出来ていないまでも、心を空間と同列には扱えないと、思います。

 般若心経には、その人間の心に対して明確な表現がなされています。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう

観自在菩薩かんじざいぼさ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみったじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう
度一切苦厄どいっさいくやく 舎利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう
空即是色くうそくぜしき 受想行識じゅそうぎょうしき 亦復如是やくぶにょぜ 舎利子しゃりし 是諸法空相ぜしょほうくうそう
不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不減ふぞうふげん 是故空中ぜこくうちゅう
無色むしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意むげんにびぜつしんに 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう
無眼界むげんかい 乃至無意識界ないしむいしきかい 無無明むむみょう 亦無無明尽やくむむみょうじん
乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん 無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく
以無所得故いむしょとっこ 菩提薩埵ぼだいさった 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ  心無罣礙しんむけげ 無罣礙故むけげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顛倒夢想おんりいっさいてんどうむそう
究竟涅槃くうきょうねはん 三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ  得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみた  是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明咒ぜだいみょうしゅ 是無上咒ぜむじょうしゅ 是無等等咒ぜむとうどうしゅ
能除一切苦のうじょいっさいく 真実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多咒こせつはんにゃはらみったしゅ
即説咒日そくせつしゅわつ 羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃて 波羅僧羯諦はらそうぎゃて
菩提薩婆賀ぼじそわか 般若心経はんにゃしんぎょう

(出典:真言宗御室派宗務所)

 

 であれば、この般若心経に書かれてあるように、五蘊(しき=肉体・受=感覚・想=想像・ぎょう=心の作用・識=意識)には実体がないと説いた方が納得できます。

 兼好法師の言う、「主」が何であるか、俄かには読み取れませんが、少なくとも、心と言うものは「主」たる「我」があって初めてその存在を認識できます。

 そして、認識できるからこそ「煩悩」「具足」してしまうのです。この煩悩を何とかするために、五蘊は実体のない物である事を理解して、こんな実体の無い物に右往左往してはいけないと、御釈迦さんは言っているのではないでしょうか。

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