『組手考察』....<8/10>
11.求放心
覚放心というのは孟子が言った事で「放心をもとむ」と読みます。
放たれてどこか分らない所へ行ってしまった心を尋ね求めて、自分の身に取り戻せという意味です。
12急水上打・毬子・念々不・停留
急流にまりを投げ入れると、まりはその流れに乗って固執することも留まることもなくうまく流れに乗って行く様を例えています。
13.前後際断
前にも後にも囚われずに瞬間瞬間を最大限活き切るってのが前後際断の心です。
一つの事柄に対して様々な事柄を例に挙げて解説をされていますので、全体を流れの中で捉えたいと思います。
まず、仏教の教理が兵法にも大いに共通するところがあるという説明があり、身体操作を自由闊達にするためには、一つのことに囚われてしまうことによる弊害について不動の心を説明しています。
止まる心は、仏教の教えでは執着といい迷いに通じると説いています。執着することにより心が束縛されてしまい自在に動くことができなくなる。一事に心を止めさえしなければ、心が行き渡ると教えています。
剣術においては理論だけではなく技の修行が不可欠で実際の役に立って始めて実感できるとも付け加えています。
また、心が一つの所に留まらず囚われていないからこそ、間髪をいれず石を打って火花がでるように動くことができると言っています。
修業の段階においては集中することは必須ではあるが、それではまだ足りないともいいます。集中することから始めてこれに拘らず捨て去ることが修行であると説きます。
もともと人に備わっている囚われない心、すなわち本心と分別を差し挟み本心を制約することから拘りが生まれることを妄心というと説明が続きます。この辺りは実に「髓心」の考え方を彷彿とさせます。我が意を得たりというのでしょうか。