心
『礼と節』....<11/12>
▲前のページへ... ...HOME...
もう随分前に亡くなってしまわれたのですが、他流派ですが島本先生という方がいらっしゃって、ある会合のとき、私に三好先生とおっしゃるので、大先輩の先生から先生などと言ってもらっては、気恥ずかしくて仕方がないので、やめてくださいよ。と申し上げたら。いや、同じ道を歩むものに先も後もないよ。互いに尊敬しあわなければだめなんだ。と言われ。「そうなんだ」と目からうろこが落ちた思いがしました。
それから、なるべく弟子以外には上も下もなく肩書きがついている人には、肩書きで、ほかの方には「さん」づけで呼ぶようにしています。
そして、挨拶は、まずこちらからと決めています。弟子以外と書きましたが、これは下に見ている訳でも侮蔑している訳でもありません。身内としての信条です。ですからいまだに呼び捨てです。
作法は、確かに礼と節を表現する上で大切な振る舞いの基本であると思います。ただ、あまりにも、いろいろな規則があり、私にはすべてを身につけることはできないと思っています。
そこで、私は礼儀と節度を次のように考えるようにしています。
① 思いやりをもてない自分に対して、いやな気持ちになる
② いやしい自分がいると、いやな気持ちになる
③ 気がつかないふりをする自分がいやになる
④ 人に気を使わせる自分をだめだなと思う
⑤ 清潔でない自分は、無礼である
(ア) 臭い
(イ) 汚い
⑥ 自分のたてる音に対して、敏感である
こんなことが、空手をやっていくには、必要なんだと思います。先ほど言いましたように空手は型の練習によって成り立っています。
型は、初めから終わりまで、集中します。何に集中するかといいますと、自分を観察することに集中します。表面的には、頭の先からつま先にいたるまで、形を観察します。それも、目ではなく、心で。そして、動きを観察します。もちろん心で。最後に心が平常心であることを確認します。

▲前のページへ..... ▼次のページへ...