心
『心と体』』....<Ⅳ>............................【髓心 : 15 / 20 】
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自らができること。それは、自らを変えることしかできません。それも、過去の自分を変えることもできませんし、現在の自分自身を変えることのみ許されているといっても良いでしょう。では、どうすれば、素直に教えを乞うことができるのでしょう。
ものを習得する上で、なぜそのまま写し取ることが、大切なのかがこのことを通しても解ってもらえるのではないかと思います。
教えられるということには、反論すべき根拠がないということです。良いとか悪いとか、工夫とかは、まず教えられてから始まるということです。教えられるということは、教える側の意図が、教えられる側に伝わるということでその目的が達せられます。教えられる側から言えば、教える側の意図が伝達途中であったり、不十分だった場合には、教える側は、さまざまな方法でこれを伝えようとしなければならないでしょうし、教えられる側は、伝達される過程に起こりうる、自らが発する阻害要因を取り除き、自らに伝達されるために必要な質問以外の権利を放棄するべきだと思います。
なぜ、ではなく、どうすればそのことが習得できるかをです。
人は対等でありたいものだということは、理解できます。しかし、往々にして、言葉の上でも、態度でも横柄になりがちです。人を蔑(さげす)みたいのでしょうか、それとも、自分を蔑まれないように防衛しているのでしょうか。返事一つにしても、『うん』・『あぁ』など、人を喰ったような、また馬鹿にしたような応対をする人がなんと多いことか。まったく根拠のない自信とプライドは、裸の王様とも見え、滑稽でもあります。また、世の差別の原点とも言えるのではないでしょうか。

残念ながら虚飾と虚栄に満ちた社会では、こんな虚勢が幅をきかせていることも事実です。






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