心
『心の開放』』....<Ⅴ>............................【髓心 : 16 / 20 】
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目的(心の求めるところ)と目標(心の置き場)そしてその仕方の大切さ、またこれを定め修行によって成果をあげようとするとき、自らの心、すなわち「二つの心」と「心と体」の介在するさまを、自らのわずかな体験を通じて経験としたことがらを、現在の社会情勢と自らの思いをことばにしながら、話を展開してきました。
ちなみに、目的とは、空手道を通じて得ようとする最終的な結果であり、目標とはその目的を達するための道標であり、常に目的を見失わないために、その過程で最良の道しるべを掲げ、その道しるべに到達するために、仕方を選び実践する。といった意味合いでそれぞれの言葉を使っています。

≪道程≫

「守・破・離」とは、室町時代の能楽者世阿弥が遺されたことばであり、今もその修行の過程として道を求める人たちが大切にしています。
守は、あくまでも「瀉(しゃ)瓶(びょう)」であり、「我心」を抑え、黙々と教えられるままに吸収する段階。石の上にも三年といいますが、最低でもこのくらいの年月はかけてほしいと思います。いかに、武術的才能や能力に長けていてもです。最高の修行とは<どんなものにも波立たない落ち着いた心>と<つらいことに対する忍耐をつくること>と、お釈迦様もいわれたと、何かの本に書かれてありました。私も体験上、なかなか達成はできませんが、そのように感じています。ここで、焦りは禁物です。独りよがりにならないためにも、じっくりと教えに従ってください。
破とは、それまでひたすら守ってきたものを壊すという段階です。教えられたことを壊すというのは、本当に勇気のいることです。そして、不安にもなります。昨日まで、金科玉条のごとくに固執してきたものを壊すのですから、並大抵の覚悟ではできません。これくらいの気持ちになるまで、「守」に固執してもらいたいのですが、簡単な気持ちで破られてしまっては・・・。言葉もありません。少なくとも、「守」の段階で、謹慎謙譲を自分のものにしたいものです。

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