今日は、クリスマスイブですね。クリスマスイブと言うと、プレゼント貰えるかも知れません。楽しみにしている人もいると思います。そんな時に、今日の題目は、貰えるものは、何でもOK!と読んでしまいそうですね。
衣食住は、生きていくうえで最低限必要なものと言えます。しかし、武蔵は、住まいについては、望まないと言っています。ただ、望まないと言っても、武蔵の人徳により、雨風から身を守ってくれる住まいについては、提供されていたように思います。放浪者(バガボンド)と言っても、浮浪者ではありませんでした。
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これまでも、衣食住などに関しての拘りや、好き好む気持ちを戒める条があります。ここでも、その類ではありますが、少し、意味合いが違います。今回の場合は、武蔵にしては、ファジーな考え方ではないでしょうか。
私の言葉で言いますと、「いい加減」になると思います。武蔵も 「「五輪書」空之巻 序には、『心の直道よりして、世の大がねにあハせて見る時』(
原文)と、色眼鏡で見たり、偏見を持つ事を戒めています。一見、「いい加減」や「ファジー」と違うと思われますが、「いい加減」と言うのは、屁理屈に聞こえるかも知れませんが、「ちょうど良い加減」の事を言っています。「良い加減」を知るためには、自分の浅知恵で考えるより、智慧に頼らなくてはなりません。拘りを捨てて、俯瞰する気持ちが必要で、その為には、目線を広くする事で、固執から逃れられるのではないでしょうか。
武蔵が強かったかどうかは、実際には検証できませんし、強いか弱いかと言うのは、私にはどうでもよい事です。『五輪書』を見る限りでは、他の武芸者による兵法書より、具体的で、実戦的であることは、明白です。
ですから、武蔵は普通の人が、そんなに自分の考えに固執する事がない事柄に対しても、拘りを強く持っていたのかも知れません。
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物事に対しての執着心や、欲心が人より強かったのかも知れないと考えています。執着心に対して、普通の人よりも律する必要があったのかも知れません。私は、そんな風に思ってしまいます。
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出世する人の多くは、人よりも情熱的であると同時に利己的で、今よく言われるサイコパス的な性格の人が多い事は、随分知られるようになりました。
自分で押さえられない程、ふつふつと湧き上がってくる情熱が、いい方向に向かえば、政治の世界でも、経済の世界でも、武道の世界でも、頂点に達する事ができると思います。芸術家には、特に多いのではないでしょうか。
武蔵も、押さえきれない程の気持ちを、戒めるため『自誓』したのかも、知れません。
前回までは、『自誓書』と『遺言』の内、どちらに重きを置いているのかと、思っていましたが、今回の【 王か身尓いたり物い三春る事奈し】を読んで、熱い思いと自制心の狭間で揺れ動く、武蔵の心を見るような思いに駆られました。
その自制心を強調するために、第一条に【世々の道をそむく事なし】を入れて、書き始めとしたのかも知れません。
武蔵は、死を目の前にしても、情熱を絶やす事が無かったと思います。同じ一生を送るのであれば、私もそのような最後を迎えたいと思います。
それも、武蔵のような燃え滾るような情熱ではなく、船越先生の『例へば湯のやうなもので、始終相當の熱度を與へないと、直ぐに冷えて元の水になつて了ふ。』のような相当の熱度、すなわち『適当な』熱を持ち続けたいと思っています。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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