サイトアイコン 髓心

文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【138】

スポンサーリンク

 今日の文字は『随筆ずいひつ』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百三十七段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 随筆

 

☆今日の原文は長いです。原文だけで、1793文字、現代文にしたのが、2084文字ですから3877文字、400字詰め原稿用紙9枚半にもなりました。
 現代文にするのに3日かかりました。飽きずに、最後まで読んで見てください。

さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百三十七段 〔原文〕

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書ことばがきにも、「花見に罷りけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて罷らで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。

 萬の事も、始め終りこそをかしけれ。男女のなさけも、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。

 望月の隈なきを、千里ちさとの外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ぶかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。

 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。

 さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごと いとおそし。そのほどは棧敷不用なり」とて、奧なる屋にて酒飮み、物食ひ、圍棊・雙六など遊びて、棧敷には人を置きたれば、「わたり候ふ」といふときに、おのおの肝つぶるやうに爭ひ走り上がりて、落ちぬべきまで簾張り出でて、押しあひつゝ、一ことも見洩らさじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物事に言ひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで」と言ひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りて、いとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。

 何となくあふひかけ渡して なまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、其か、彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。暮るゝ程には、立て竝べつる車ども、所なく竝みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも濟みぬれば、簾・疊も取り拂ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて、哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。

 かの棧敷の前をこゝら行きかふ人の、見知れるが數多あるにて知りぬ、世の人數もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。大きなるうつはものに水を入れて、細き孔をあけたらんに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一に一人二人のみならむや。鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、柩をひさぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ來にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかに思ひなんや。まゝ子立といふものを、雙六の石にてつくりて、立て竝べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、數へ當ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた数ふれば、かれこれ拔き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵のいくさに出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世をそむける草の庵には、しづかに水石すいせきをもてあそびて、これを他所よそに聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらんや。その死に臨めること、軍の陣に進めるに同じ。

 

 
スポンサーリンク

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『花は満開の時に、月は満月のみを見るのが良いのか。雨が降る時に月を見ようと部屋に閉じ籠り、春の移り行く事も知らずに過ごすのも、よりしみじみとした深い想いになる。今まさに咲こうとする蕾の梢、花が散ってし萎れた庭などこそ見どころが多い。歌の前書きにも、「花見にまかりけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありてまからで」などとも書かれている、「花を見て」と書かれてるより劣っているのだろうか。花が散り、月が沈んでい行く事を慕うのは習慣ではあるが、さらにかたくなな人は、「この枝、あの枝も散って、今は見る所ない」などと言う。

色々な事は、始まりと終わりこそ面白い。男女の情も、ひとえに逢うだけではない。逢えないと想い悩む、儚い約束を嘆き、長い夜を一人明かし、遠いはるか離れた所を想い、ちがやの生えるような家で昔を忍ことこそ、恋愛の機微が解ると言える。

満月のかげりがないのを、千里の遠くから眺めるより、明け方近くなって見える月が、実に神妙で、青みがかかり、山深い杉の梢に見える木の間の影、時雨を降らせる雲に隠れている様子が、またとなく趣がある。椎柴・白樫などが濡れてその葉の上が煌めいている様子こそ、身に沁みて、そんな心のある友がいたらと、都を恋しく思う。

およそ月や花を目だけで見るのだろうか、そうではないであろう。春は家の外に出なくても、月の夜は寝床にいながら月を思えるのも楽しく興味深い。立派な人は、むやみにあからさまには見ず、楽しむのもほどほどである。片田舎の人ほど、大げさに何でも喜ぶ。花の近くに寄って、じっと見て、酒を飲み、連歌をし、終には大きな枝など臆面もなく折ってしまう。泉には手や足をつけて、雪には下り立って足跡をつけるなど、あらゆる物を離れて見ようとはしない。

このような人の祭りを見る様子、大変滑稽である。「行列はまだ来ない。これなら桟敷は不要」と、奥の部屋で酒を飲食し、囲碁、双六などで遊び、桟敷を人に見張らせ「行列が来ました」と言われてから、各々が慌てて桟敷に上がり、落ちるかと思うほど簾を押して、押し合いへし合いながら、見逃すまいと目を凝らし「ああだこうだ」とつぶさに言い、行列が過ぎると「また来るまで」と降りる。ただ行列を見るだけである。都の人で見識のありそうな人は、眠っていてたいして見ない。若くて位の低い者は、勤めに忙しく立ち振る舞い、貴人の後ろに控える者は、見苦しく寄り掛ることもなく、無理に見ようとする人もいない。

何となく葵の葉を敷いて、優雅に夜が明けてくると、静かに寄せる牛車だが、誰が乗るのか知りたくなる。あの人かこの人かと思ってしまう。牛飼いや下僕に顔見知りもいる。見事に煌びやかな様々な牛車を見るのも退屈しない。夕暮れには、立ち並んでいた牛車も、ぎっしり詰まっていた人達も、どこかに行ってしまう。だんだん数も少なくなり、行き交う牛車の喧騒も無くなり、簾、畳も取り払われ、目の前が寂しくなることこそ、世の定めと思い知られて、悲しい。大通りの様子を見たが、祭りを見たのではない。

あの桟敷の前あたりを行き交う人の中には知っている人も多数いる。世の中の人数もそれほど多くはない。この人達が皆死んでしまった後で、自分も死ぬと決まっているが、ほどなくその時がくるだろう。大きな器に水を入れ、細い穴を開けると、漏れるのは少しではあっても、絶え間なく漏れれば、やがては残らず無くなる。都の中には人が多いが、死なない日はない。一日に一人二人だけではない。鳥部野、舟岡、他の野山にも、死者を送る数が多い日はあるが、送らない日はない。であれば、棺を売る者も、作って残して置くほどはない。若くても、強くても、思いがけなくやってくるのが死期である。今日までこれを逃れてきた事は、稀であり不思議な事である。僅かな時間でもこの世の中がのどかとは思えないだろう。継子立てというものを、双六の石でつくり、立て並べた時は、取られる石がどれかも分からないが、数を決めて一つを取れば、他の石は免れたと見える。またまた数を決めればあっちもこっちも取られて、結局残らないのと似ている。

兵が戦いに出るのは、死が近い事を知り、家や自分の事も忘れる。遁世する草庵で、静かに泉水と庭石を慰みとし、死を自分とは無関係だと思うのは、本当にむなしい。静かな山の奥だからと、無常と言う敵が気勢を上げて来ない事があろうか。死に臨む事は、戦いに進み出るのと同じである。』

【参照】
継子ままこ立て—-碁石を用いて行う遊戯の一。黒白の碁石それぞれ一五個ずつ計三〇個を一定の順に並べ、最初から数えて一〇番目にあたるものを除いてゆくと白石が全部なくなり、最後に残った黒石を勝ちとするもの。二〇個で行う場合もあり、並べ方を工夫することにより白を勝ちとしたり、特定の石を勝ちとすることができる。黒白を、それぞれ先妻の子と後妻の子に見立てたことからの名。継子算。(出典:大辞林第三版 三省堂.)

 

 

『随筆』

 この徒然草全体を「随筆」と言う文学であると、聞いています。しかも、三大随筆とまで評価の高い文学です。この段は、まさに『随筆』ではないかと思い、題字も「随筆」にしました。

 「見聞したことや心に浮かんだことなどを、気ままに自由な形式で書いた文章。また、その作品。漫筆。随録。随想。エッセー。」(出典:大辞林第三版 三省堂.)

 何度も何度も、この文体にいちゃもんを付けていますが、これは多分私の今まで文章を書いて来た歴史にあると思います。

 というのは、文章は論理的な展開がなければ、読み手に伝わらないと、勝手な思い込みがあります。

 私は、高校は工業高校で、工業化学科でしたし、大学は、理工学部交通工学科でした。ですから、文章と言えば結論から書くのが当たり前でしたし、社会に出てからも、提出する書類は全て、論理的に書かないと、文学的な書き方をすると、受け付けてもらう事も出来なかったと思います。

 そこで、またこの段を区切って見る事にしました。余りにも長いので、要点だけをまとめて見ました。

    1. 物の盛りよりも盛りになる前または盛りを過ぎた時の方が良い。
    2. 男女の情を引き合いに出し前文が正しい理由にしている。
    3. 月を例に風情、情緒を言っているが、最後が、そんな心を持っている都の友に話が及ぶ。
    4. 目よりも感じる事の重要性を語るが、不作法な人の中傷に話がそれてしまう。
    5. この不作法な人が祭りを見る時の様子。
    6. 牛車が並ぶのでそれにどんな人が乗るのか興味が移る。
      この不作法な人が祭りを見る時の様子にも拘らず、言いたい事は、無常観。最後はまた不作法な人への批判に移ってしまった。
    7. 世の中の人の数は、それほど多くなく、多いと思う都でさえ、毎日のように死んでいる。死に対する無常観を継子の石に譬える。
    8. 死は戦いに臨むのと変わりがない。

 まとめ方が、いい加減すぎると思いますが、兼好法師は、色々書きならべています。しかし、自分の死生観を書いているのだと思うようにしました。

 であれば、7.と8.だけで十分に言いたい事は分かると思います。1.~6.によって焦点がぼやけてしまい、なかなか理解するのに苦労しました。

 それぞれの文章の内容は理解できますので、違う段にでも書いてもらえればありがたいですね。

 少しだけ、反論します。片田舎の人を不作法扱いするのは止めた方が良いと思います。時代がそういう時代なのかも知れませんが、現在では逆もまた真と言えるかも知れません。

 次の反論です。冷ややかに見る事は決して上品とは思えません。「踊る阿保に見る阿保、同じ阿保なら、踊らにゃ損々」と言う言葉もあるとおり、参加しないなら、祭りにはいかない方が良いと思います。もちろん、度を越して騒いだり人に迷惑を掛けるのが参加ではありませんが。

 『この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたり』と、勝手に自分が最後のように言うのも間違いです。まして、後述している『まゝ子立』には、どの石から無くなっていくか分からないと、予め決まっていない事を書いています。ようするに、もしかしたら、自分が一番先に死ぬかも知れないのが、死期でしょう。自分で書いたことを自分で覆してどうしようと言うのでしょう。

 余りにも無頓着に矛盾した文脈に驚いてしまいます。同じ段の中で、これだけ主張が反転してしまうと、折角の無常観も台無しです。これが、『気ままに自由な形式で書いた文章』なのでしょうか。

スポンサーリンク
モバイルバージョンを終了