【五輪書から】何を学ぶか? |
武蔵は、『五輪書』の目次と言うべきか、概略を、今回の『6
五輪というのは、遡ると古代ギリシャ哲学の四大元素、あるいは五大元素が世界を構成していると考えられていました。一方中国においても、陰陽五行説のように五行(木・火・土・金・水)が万物の原理である考えられた時代があります。日本に伝わってきた仏教(密教)は、宇宙の構成元素として地・水・火・風・空の「五輪」をあげていますが、この起源はインドのウパニシャッドにあると考えらます。
ただ、この『五輪書』の中で、一度も『五輪』も『五輪書』という文字も、見つからないことです。
「地・水・火・風・空」は、当時では、仏教の世界で、物のありようを表す根源的な言葉で、特にこの五つの言葉は、五輪塔の上から順番に梵字で書かれていて、武将の墓として造られるようになりました。五輪塔が空海の発案という事なので、高野山の奥の院に続く道には、多くの五輪塔を見る事ができます。
『五輪書』という名前は後世に、この「地・水・火・風・空」から名づけられたと推察しています。
序の部分では『この書を作るといへども、仏法・儒道の古語をも借らず、軍記・軍法の旧きことをも用ひず。』との記述はあるものの、五つの巻として書き表した巻物と、巻物を書き終わるか、書き終わらない内に、その一生を終えた宮本武蔵の「墓標」になってしまったことについては、不思議な仏教との繋がりを感じます。
【地之巻】の構成
6. 此兵法の書五巻に仕立てる事
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7. 此一流二刀と名付る事
8. 兵法二つの字の利を知る事
9. 兵法に武具の利を知ると云事
10. 兵法の拍子の事
11. 地之巻後書
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「地の巻」
自分の考えるところの兵法とは、剣術はその一部であり、これを極めたところで、本当の兵法を得る事は難しい。
これが私の流儀の概略であり、「地の巻」にした理由は、大きいところから入る、あるいは、浅いところから深く掘り下げる。これは、道を平らに踏みならすのと同じである。
「水の巻」
水は方円の器に従うという性質、あるいは、一滴から大海にもなり、かつ、その姿は清らかで澄んでいる。これを私の兵法の基本とした。
剣術の奥にある勝つための理を見極めることで、一人に対してすることと、千万の敵に対してでも変わらなくなる。
これは、小さい見本から大きな大仏を造るのと同様である。
こういう事は、詳細には書き表せない。一を聞いて万事を知ることが兵法における戦いに勝つ理論である。
「火の巻」
火は大きくも小さくもなり、尋常の事では計れない。よって、「火の巻」を通して、合戦について書く。
一対一も、万対万の戦いも同じである。その状況に合わせて、心を大きくしたり、小さくしたりして、実状を見極める。
敵、大人数の時は、全ての敵が一丸となるのに時間がかかるので、状況を掴みやすい。一人の場合は心の移ろいが早くなり、状況を掴みにくい。
刻々と変化する状況の事を表しているので、常日頃から戦いの状況に慣れて、狼狽えないようにする必要がある。心が変わらないところが肝心である。
「風の巻」
ここでは、他の流儀について、今昔を問わず、世間の色々なやり方について、明らかにする。
他流を知らないと、自らの流儀をわきまえることは難しい。色々な道には邪道ということもある。日々稽古しても、心が違えば、自分が良いと思っても、客観的に見れば、違う事もある。真の道から外れると、ちょっとした心得の違いが、後には大きな違いになる。物事は、余るという事と足りない事は同じことである事を心に置かなければならない。
世間の兵法を知り、我兵法の理論、仕方が、格別のものである事を書き記す。
「空の巻」
空というものから見れば、奥義や基本などという事もなく、勝つ理論を得れば、その勝つ理論から離れ、自由自在の道になる。
もし、戦う場面があっても、その強弱を感じ、敵に対するありようは、正に空のようでなくてはならない。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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