【五輪書から】何を学ぶか? |
紀元前より、人の生きる道については、老子・釈迦・荘子・孔子・孟子は言うに及ばず、古代よりソクラテス・ブラントン・アリストテレスなどなど、時代ごとに哲学者から科学者、名僧、剣客、スポーツマン、経営者まで、それぞれの分野で成功された人が残された言葉は、数え上げればキリがない程に、膨大な量になります。
武蔵は、これらの人生訓にありがちな抽象論ではなく、兵法という自分自身が身に付け、体験した事を元に、この『五輪書』を書いたと思います。決して人生訓を書こうと思ったものではないでしょう。あくまで、勝負に勝つためにはどうすれば良いのか、一生考え続けた事を書き残したものだと思います。
それでも、武蔵の書き残したものが、現在資本主義社会で生きる者の規範となり、参考にすべき言葉が、ちりばめられています。
むろん、先述の各界各所の名言も、自らが人生の岐路に立った時、その指標になるものと思います。
争いごとなんか、無くなれば良いのにと思い、『争はない空手道』を推奨する中で、ちょっと異色の『五輪書』に、なるほど、と思ったり、懐疑的になったり、反論したりしながら、読み進めて行こうと思っています。
【地之巻】の構成
11. 地之巻後書
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11. 地之巻後書
私の二天一流を学ぼうとする人は、次の事を心がけなければならない。
1. 道をはずれた事を思わないこと。
2. 兵法の稽古に励むこと。
3. 兵法以外の道を嗜み体得すること。
4. 色んな職業の道を知ること。
5. いろんな事の損得を判断すること。
6. 物事の良否や本物か偽物であるかを見分ける事ができること。
7. 目に見えない事を感知できる感覚を体得すること。
8. 些細な事にも行き届くようにすること。
9. 自分の道に役立たない事に手を出さないこと。
おおよそ以上のような事を常に心がけ、兵法の道を鍛錬する必要がある。
兵法の道に限っては、素直な気持ちで広く見る事が出来なければ、熟達者とは言い難い。熟達すれば、一人であっても、二十人三十人を相手にしても負けることは無い。
素直に道に励めば、手でも眼でも人に勝ち、鍛錬をすれば全ての動作が自由になり、体術でも人に勝ち、心でも人に勝つ事ができるようになる。このように熟練すれば、人に負ける事も無くなる。
合戦においては、優れた上司に就くことができ、優れた部下を得て、相手に勝つ事が出来る。また、自らを正しく修養できるようになり、延いては、国を治める事も、民衆を養う事も可能になる。また、世間の礼儀や作法を身に付けて、どの芸能、技能においても相手より優れ、上司として立身出世する事ができるのが、兵法の道である。
新免武藏守玄信
正保弐年五月十二日(1645年)
寺尾孫之允信正
柴任三左衛門尉美矩
万治三年五月朔日(1660年)武蔵の没後15年
吉田忠左衛門実連殿
『私見』
武蔵は、自らの人生で達しえなかった事も、自ら編み出した兵法に熟達する事で、達する事ができると、信じていたのかも知れません。
すなわち、二天一流に熟達すれば、人格、素養、人徳等々、単に小手先で刀を扱う事だけではなく、国を動かす能力まで身につける事ができると思っていたのでしょう。
私は、学生の時に「五輪書」に出会いました。その時は、『第五に、もの毎の損徳を弁ゆること。第九に、役に立ぬことをせざること。』について、なんだか、カッコ悪い、釈然としない気持ちになった記憶があります。
社会に出て、現実の中で様々な出来事を経験する事になり、現実の世界を生き抜くために、どうしても避けて通る事の出来ない事が書かれてあったのだと知る事になります。
未だに、その通りに人生を送くる事が出来るほど、割り切りことが出来ている訳ではありません。しかし、この言葉に嫌悪感を持っていた頃よりは、理解できるようになりました。人生は全ての人に限りある時を与えています。余程のお人好しでもない限り、自分の人生を棒に振ってまで、損を背負う必要もないでしょう。また、転ばぬ先の杖とも言いますから、役に立たないことにまで、口出しできる時間も、お金も与えられていないのが、人生である事を知る事が出来ました。
『五輪書』が、他の人生訓や名言と、一味違うように思えるのは、綺麗ごとに済まさない、鋭い指摘が魅力なのかも知れません。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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