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「五輪書」から学ぶ Part-62
【火之巻】 まぶるゝと云事

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 【五輪書から】何を学ぶか?  

 またまた、昔の言葉が出てきました。取りあえず、「まぶるゝ」と言う言葉を調べておきましょう。
 「塗る」と書いて、「まぶる」と読みます。この場合は、「まぶす」と同じ
意味です。また、「守る」と書いて、「まぶる」と読みます。出典:デジタル大辞泉(小学館
 ちなみに、異なった材料を合わせる場合に使う料理用語には、「混ぜる」「和える」「まぶす」と言う言葉の違いがあります。
 「混ぜる」は二種類以上の食材を一緒にする事、「和える」は、食材に調味料など味を加えて、混ぜ合わせる。そして、「まぶす」とは、粉などを食材全体に付着させる事(NHKの放送を参照)と分けています。この場合はいずれも混ぜ合わせる事を指しています。

 武蔵がどのような気持ちで、「まぶる」と言う言葉を用いたかについては、分かり様がありませんが、前後の文章から、「混ぜる」と言う気持ちで「まぶるゝ」と言う言葉を使ったと仮定する事ができます。

 敵と味方を、分けがたいほど混ざり合った状態を、想像しておくことにします。(絵は、関ケ原の戦いです)

【火之巻】の構成

16. まぶるゝと云事
17. かどにさはると云事
18. うろめかすと云事
19. 三つの聲と云事
20. まぎると云事
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
  
『原文』
16. まぶるゝと云事 (原文は、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlを引用した)
まぶるゝと云ハ、敵我ちかくなつて、たがひに強くはり合て、はかゆかざるとミれバ、
其まゝ敵とひとつにまぶれあひて、まぶれ合たる其内の利を以て勝事、肝要也。大分小分の兵法にも、敵我かたわけてハ、たがひに心はりあひて、勝のつかざるときハ、其まゝ敵にまぶれて、たがひにわけなくなるやうにして、其内の徳を得て、其内の勝をしりて、
強く勝事、専也。能々吟味有べし。(1) 
【リンク】(1)は【註解】として、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」にリンクされています。

 『現代文として要約』

 16. まぶるゝと云事

 まぶるゝと言うのは、敵との間合いが近くなって、互いに強く張り合って膠着してしまうと判断する時は、そのまゝ敵と混じり合って、その中で有利になって勝つ事が肝心である。
 大勢でも少数でも、敵と味方を区別していたのでは、互いに優勢に立とうとして優劣がつかない時がある。その時はそのまゝ的に紛れて、敵味方分けようがない状態にして、その状態の中で勝つ方法を見出し、見つけられたら瞬時に強くでて勝つのが良い。よく研究する事。

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 『私見』

 武蔵は、一見矛盾したことを、得々と書き綴ります。例えば、 はりうけと云事では、同じように膠着状態から抜け出す方法が書かれてあります。他のテーマでも基本的には、手詰まりを解消するために書かれたものが多いと思います。しかし、その方法は、「押してもだめなら引いてみろ」式の事が書かれています。

 しかし、ここで言われる場面では、一転、「押してもだめなら押してみろ」と、違う手段を提供しています。
 
 この矛盾するところが、武蔵が実戦的である事を象徴しているのではないでしょうか。

 通常、理論展開する場合は、同じ線上で方法を論じていきます。上記のように、手詰まりを解消するためには、「引いてみる」方法を幾つも重ね、やっぱり引くことが最善であると、締めくくれば、矛盾を感じないで済みます。

 しかし、実際には、引くに引けない場合も出てくるのが、現実です。そのための心構えが、「まぶるゝと云事」として書かれています。

 残念なのは、まぶるゝところまでは、理解出来ました。それでは、混戦、いや混乱状態から、どうすれば、抜け出せるのでしょうか。それが、武才と言われるものでしょうか。

 前回まででも、じゃ、どうすれば良いのか、と答えを求めたくなる記述が幾つも出てきます。
 明治のチョコレートの「教えてチョコ先生!」というCM。「コツコツ食べればいいんですよ!毎日!」と、言われそうですが、やっぱり、「朝鍛夕錬」の通り、稽古して自得する以外に方法はなさそうです。

 仕事でも、その時々に、解決策が頭に浮かび、実行できる人が求められます。
 なぜ、解決策がいとも簡単に浮かぶのでしょうか。その答えは、意外とシンプルです。私がいつも言う、「体験」を通じて「経験」としてしまう事です。
 要するに、引き出しをどれだけ多く持つかが、鍵です。

 「体験」を通じて「経験」にするためにする事があります。「体験」と言うのは、万人が、一刻一刻、日々、年年歳歳、意識する必要もなく、見るもの、聞くもの、触るもの、全てを「体験」しているのです。ただ、残念ながらその記憶を呼び覚ます機能を、通常、人間は、備えていないのです。

 色々な方法があるのでしょうが、それを知る由もありません。ですから、ここでは、私が「体験」を通じて「経験」としている方法を開示してみましょう。

 それは、反芻する事だと思っています。反復ではありません。私が反芻と言っているのは、機械的に反復するのではなく、身になるように咀嚼を繰り返すという事です。牛ではないから反芻などできません、と反発を受けそうですが、どういう事かと言いますと、成功体験を繰り返すのではなく、失敗体験をした時に、しっかりショックを受けるという事です。特に若い時には、悩み苦しんだ方が経験値が増えます。

 こんな事を言うと、年間3万人と言われる自殺者を増幅してしまいそうですが、悩み苦しみも青春だと思いましょう。悩み苦しんだ数だけ、発想力が豊かになり、アイデアが浮かび、人の心もわが心のように分かるようになるものです。そして、その悩み苦しみに潰されないような人間に成長する事が、強くなるという事であると、自覚して下さい。

 しかし、悩み苦しむ方法を、守って下さい。何事にも仕方があると、常々口癖のように言いますが、特に悩み苦しむ場合には、仕方を間違えると、「鬱」と言う病気になってしまいます。

 何のために苦しんでいるのかを明確にすることです。それは、失敗の印象を頭に刻む事が目的です。悩みを解消するために、考え込んではいけません。苦しみを解決しようとしては、いけません。頭に刻む事ができれば、目的は達せられたのです。

 悩みも苦しみも、全て自分の僅かな経験と記憶から、解決策を導き出そうと、頑張ります。しかし、自分で考えるのですから、当然堂々めぐりで終わるのです。ですから、初めから解決出来ない事は、解決出来ないのです。

 「鉄は熱いうちに打て」「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言うではありませんか。しかし、出口をしっかり定めて、苦労してみてはどうでしょうか。

 出口は、頭に刻む事なのです。その積み重ねがあってこそ、何かあった時に、必ず良い解決策や発想、あるいはアイデアが浮かぶものです。「体験」から「経験」に昇華させたのですから。それは、知識を越え、智慧となって自らを救ってくれます。

 【参考文献】 
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

   【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html


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