【身越捨ても名利はすて須】『身を捨てても名利は捨てず』と言い換える事が出来ると思います。
昔は、名利(みょうり)と言うものは、絶対的な価値があったのでしょう。
学研全訳古語辞典では、現世での名誉と利益。とありますが、どうも、私の思い込みかも知れませんが、納得できるものでは、ありません。
私は、今で言う、プライドとか、誇り、あるいは、矜持のように思っています。
例えば、家名が重要視された時代では、命を懸けて家名を守った事や、『御家の一大事』とか、『御家のため』などと、『御家』(おいえ)【主人や主君】を守る為に、一命を賭したという事も、映画やお芝居では、聞き覚えのある言葉です。
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「悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して」(教行信証)親鸞聖人は、自身が愛欲に溺れ、名誉欲と利益欲に振り回されている、と嘆いています。ここでの名利は、名誉欲と利益に対する欲を表わしています。親鸞と武蔵では、親鸞の方が300年以上も前の時代ですから、ここで使われている「名利」とは違っているかも知れませんが、古語辞典でも同じような意味が示されています。
確かに、墨蹟では、「名利」と見えますし、私が知る限りの参考文献でも、「名利」となっています。
しかし、その訳文は「名と栄誉」あるいは、「名誉心」と訳しています。武蔵は、「五輪書」を見る限り、いかに、現実的であったかは、分かりますが、『独行道』で、自信の欲に対して律する姿勢には、厳しいものを感じています。では、武蔵が「名誉」、「名声」や「栄誉」あるいは、「利益」に対して、命より欲を優先するのでしょうか。やはり、納得できるものではありません。
宮本武蔵遺蹟顕彰会編『宮本武藏』(金港堂書籍株式会社、明治42年4月27日発行)には、第四条と今回の『身越捨ても名利はすて須』を除いて「獨行道」が十九条の形で挙げられています。ちなみに、第四条は、『身をあさく思世越ふかく思ふ』です。
なぜ、『身越捨ても名利はすて須』を除かれたのかは、分かりません。『二天記』【安永5年(1776年)に熊本藩の細川家の筆頭家老・松井家の二天一流兵法師範の豊田景英著】には、第四条と第二十条を除いた十九ヵ条の『独行道』が載せられているそうです。ただし、確認はしていません。
私は、『名利』と読む事が、本当に正しいのかを考えて見しました。その理由は、宮本武蔵が、そんな事を考えないだろうと、思う事と、武士として恥ずかしい言葉をあえて、『自誓書』に書くわけもないと、思うからです。
そこで、私が知る得る限りにおいて『独行道』を古語や歴史的仮名遣いで、活字に起こしたものに『名利』と書いてある事を承知した上で、あえて逆らってみようと思いました。
確かに墨蹟は、一見『名利』と書いてあるように見えます。しかし、武蔵の書きぶりが果たして、『利』を書いたのか、『和』を書いたのか疑問に思っています。その後の『は』としている変体仮名は、『者』あるいは、『盤』が当てられていると思いますが、『春』を元の漢字とする『す』とも読めるのではないかと、思います。次の行に移り、『す』と読むにはあまりにも滲んでおり、私には読めません。しかし、この『す』と下の文字を『天』を元にした変体仮名として見れば、『て』と読めます。
だとすれば、『身越捨ても名利はすて須』を『身越捨ても名和春天須』と書き換える事ができます。これを現代文に直せば、『身を捨てても名は捨てず』となり、私が考える武蔵像が浮かび上がってきます。
多数の見識ある方々が、墨蹟を読み解いたのだと思いますし、明治41年当時は、今よりも変体仮名を読む事には、長けていたと思いますので、多分、私が間違っているのだと思います。それでも、このような読み方をする方が、『独行道』の条として違和感なく読み取れるのではないでしょうか。
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このように読むと、『大義に殉じる』と言う、つい最近までの日本人に取っては自明の理であった事と、合致します。武蔵は、そういう事を言いたかったのではないでしょうか。
現在は、『名を捨てて実を取る』事の方が、賢明であるとの考え方が一般であるとの事ですが、『花より団子』と同列の生き方を選んでほしくはないと思うのです。これも、時代の流れというものでしょうか。
なんでも、かんでも経済的な利益を優先する時代ですが、果たして、人間にとって本当に利益なのでしょうか。
もっともっと、先を見通した利益であってほしいものです。
【参考文献】
・佐藤正英(2009-2011) 『五輪書』ちくま学芸文庫.
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