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「五輪書」から学ぶ Part-25
【水之巻】一拍子の打の事

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   五輪書から】何を学ぶか?  

 「五輪書」は、読み方によっては、現代人にとっても、価値を見出すことが、できるのでないかと思っています。

 その理由は、現代が、形を変えてはいますが、社会人になると同時に、そこは戦場と言えるほどの過酷な戦いの場である、と言えるからです。

 だが、刀が振り回され、矢や鉄砲の弾が飛び交いますと、直ぐに戦場であると気付きますが、現代は気付かずにいると、気が付かない戦場なのです。

 当然の事のように、戦場だと知って戦う人は、この社会では成功する方向に向かいます。しかし、戦うものだと知らないで人生を過ごしていると、訪れるのは、社会や会社、あるいは、国に対する不満が蓄積し、愚痴だけが残ってしまいます。

 現代の時代を肯定するのではありません。それでも、夢想の世界にいるよりも、現実を見つめる眼は、持たなければなりません。

 「五輪書」は、そんな現実を、直視させてくれているのではないでしょうか。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
15. 一拍子の打の事
16. 二のこしの拍子の事
17. 無念無相の打と云事
18. 流水の打と云事
19. 縁のあたりと云事
20. 石火のあたりと云事
21. 紅葉の打と云事
22. 太刀にかはる身と云事
23. 打とあたると云事
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
『原文』
15. 一拍子の打の事 (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 敵を打拍子に、一拍子といひて、敵、われ当たるほどの位を得て、敵の弁へぬうちを心に得て、我身も動かさず、心も付けず、いかにも速く、直に打つ拍子なり。
 敵の、太刀引かむ、外さむ、打たむと思ふ心のなきうちを打つ拍子、これ一拍子なり。この拍子、よく習ひ得て、間の拍子を速く打つこと鍛錬すべし。

加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた

 『現代文として要約』

 15. 一拍子の打の事

 敵を打つ拍子に、一拍子と言って、敵と自分が当たるほどの間合いで、敵が気づくまでに、自分の身も心も動かさず、いかにも速く、直に打つ拍子がある。
 敵が、刀を引こうとか、外そうとか、打とうと思わないうちに打つ拍子である。これを一拍子と言う。この拍子を、よく鍛練し習得する事によって、拍子と拍子の間を速く打つこと鍛錬すべきである。

 『私見』

 相手と自分との距離を、間合いと言いますが、これが何とも言葉では言い表しにくい状態を指しています。僅か、1cmでも間合いを外す事になってしまいます。自分の感じる間合いと、相手の感じる間合いを、対峙した時、瞬時にして融合しなければなりません。

 まず、間合いを制しなければ、この一拍子の打ちも効果がありません。しかし、間合いに入っている事を感じているのに、心が決まらなければ、やはり、一拍子の打ちも効果がないでしょう。

 間合いというものが、物理的な距離であれば、比較的簡単に覚えられるのですが、この距離に、相手の技量や自分の技量を加味しなければ、間合いを測る事ができません。
 こればかりは、実際に相手との稽古を積み重ねないと、体得する事は難しい事です。
 
 普通の生活でも、間が悪い人っていますね。間と間合いとは違いますが、間合いが合って初めて、タイミング(間)ができます。場の雰囲気を感じられないと、人から嫌われる事になります。
 「親しき中にも礼儀あり」とよく言われますが、まさに、間合いですね。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.


 
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