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「五輪書」から学ぶ Part-33
【水之巻】打とあたると云事

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   五輪書から】何を学ぶか?  

 人が起こしたことが、偶然なのか、必然なのか、結果を見て判るには、情報が少ないことが多いです。それは、原因を起こした、人の心にあるからです。

 他人の心は解らないにしても、自分の心は解ります。

 なぜ、偶然なのか、必然なのかを知る必要があるのでしょう。結果が良ければそれで良いと思う時代だと思いますが、これが何かを習得するという事になると、ちょっと、考え方を改めないといけません。

 偶然に起こった事に、再現を期待するのは無理でしょう。偶然なんですから。しかし、必然となると、違います。必然には再現性があります。偶然と思われることを、反復練習することにより、必然に変える事ができます。そのための稽古であったり練習ではありませんか。

 ここでも、やはり「打つ」という事と、「当たる」という事を明確に分けている所に、武蔵の拘りが見えます。もちろん、私も同感です。
 たった一回の勝負であれば、偶然でも結果重視になりますが、そこに術があったり、道がある場合は、如何に再現性のある技術として、昇華するかにかかっています。

【水之巻】の構成

 1. 水之巻 序           
23. 打とあたると云事
24. 秋猴〔しゅうこう〕の身と云事
25. 漆膠〔しっこう〕の身と云事
26. たけくらべと云事
27. ねばりをかくると云事
28. 身のあたりと云事
29. 三つのうけの事
30. 面〔おもて〕をさすと云事
31. 心〔むね〕をさすと云事
32. 喝咄〔かつとつ〕と云事
33. はりうけと云事
34. 多敵の位の事
35. 打あひの利の事
36. 一つの打と云事
37. 直通〔じきづう〕の位と云事
38. 水之巻 後書
『原文』
23 打とあたると云事 (原文を下記のルールに従って加筆訂正あり)
 打つといふこと、当たるといふこと、二つなり。打つといふ心は、いづれの打ちにても、思ひうけてたしかに打つなり。当たるは、行き当たるほどの心にて、なんとく当たり、たちまち敵の死ぬるほどにても、これは当たるなり。
 打といふは、心得て打つところなり。吟味すべし。敵の手にても、足にても、当たるといふは、先づ当たるなり。当たりて後を強く打たむためなり。当たるは触るほどの心、よく習ひ得ては、各別のことなり。工夫すべし。
加筆訂正のルール
                 *仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一
                 *漢字は現行の字体に統一
                 *宛て漢字、送り仮名、濁点、句読点を付加
                 *改行、段落、「序」「後記」を付けた
 『現代文として要約』

 23. 打とあたると云事

 打つという事と、当たるという事は別の事である。打つと言うのは、どんな打ち方にしても、心に決めて打つ事である。当たるという事は、たまたま振った刀が相手を打つ事になっても、また、その打ちが強く、相手が死ぬ事になったとしても、これは、当たるという。
 打つと言うのは、心に決めて、迷いなく打つ事である。検証する必要がある。敵の手であっても足であっても、当たると言うのは、その後で強く打つためである。その当たりは、触るのと違いはない。よく習得すれば、その違いが良く判る。工夫すること。

 『私見』

  武蔵は何度も「勝つ利」という事を言っています。勝つ利と言うのは、勝つべくして勝つ、という事で、戦えば必ず勝たなければなりません。
 その為には、一方では、戦略として、また戦術としての勝つ利を常に考えているでしょう。しかし、一方では、体術として、稽古の時に、自分をごまかさない方法まで、示しています。
 なぜ、ここまで「勝ち」に拘るのでしょう。それは、生死を懸けているからに他なりません。譲れないぎりぎりの所に、身を置いているということを忘れないようにしましょう。

 意外と簡単そうで、難しいのが、自分の心に素直になることでしょう。「天網恢恢疎にして漏らさず」【老子】の言葉や、「天知る地知る吾知る」【後漢書楊震伝】のように、大層な事ではなくとも、人はなかなか自分に正直になる事ができません。
 今のは、自分で意図して当てようと思って、当たったのか、それとも、意図しないで偶然当たったのか、稽古の時は、自分に正直にならなければ、成長する事はありません。

 残念ながら、我々は、自分の事は、なかなか客観的な眼で評価することが出来ないようです。ですから、評価は他人にしてもらった方が、より客観的になると思います。まぁ、これも、人によりますが。できれば、信頼に足る人に評価してもらいたいものです。
 
 剣術や剣道、空手にしても、仕事の面でも、常に自分を観る目を持ちたいものです。

 【参考文献】 
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.


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