『礼と節』を徹底解剖 Part-10

 「嫉妬」という言葉が、なぜ女偏なのかと、疑問に思っています。毎日寝る前に無料の学校ネットで、漢字の書き取りをして寝ます。今は、高校卒業レベルのものをやっています。 小学生や中学生レベルもやりました。その中で、「嫉妬」という漢字が出てきました。「妖」、「嫌」とか「媚」なども女偏です。「凄い」という字にも「妻」が入って、女性はやっぱり強いのかなとか、思いながら、書き取りをして眠ります。

 漢字が出来た時代の背景を反映しているのだと思います。男尊女卑であったのでしょう。「妬み」(ねたみ)「嫉み」(そねみ)は、女性特有と烙印を押したのかも知れません。もしかしたら、男女ともにある気持ちを、あたかも女性にしわ寄せがくるように漢字を作ったのかも知れません。今でも「女の腐ったような」とか言いますね。まだまだ、女性蔑視の時代なのかも知れません。

 前回同様原文は、下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。

『十七条憲法 原文』
第一条 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
第二条 二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。
第三 三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。
第四条 四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。
第五条 五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。
第六条 六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。
第七条 七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。 者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。
第八条 八曰。群卿百寮。早朝晏退。公事靡 。終日難盡。是以遅朝。不逮于急。早退必事不盡。
第九条 九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。
十条 十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
第十一条 十一曰。明察功過。罰賞必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰。
第十二条 十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
第十三条 十三曰。諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。其非以與聞。勿防公務。
第十四条 十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。
第十五条 十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。
第十六条 十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
第十七条 十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
[出典]金治勇(1986)『聖徳太子のこころ』大蔵出版.

 現代文を要約したものを下記に示してあります。バーをクリックすると見る事が出来ます。
『十七条憲法 現代文要約』
1.和を以て貴しとなす。という、有名な言葉を一番最初書いています。
2.仏・法・僧を信奉しなさい
3.王(天皇)の命令に、謹んで服従しなければ、国家の存亡にかかわる。
4.上の者が礼を遵守しなければ、下の秩序はみだれ、下の者が無礼であれば罪人を作る。
5.法を行う者は、接待や供与を受けず、厳正に審判すること。
6.面従腹背の輩は、国家を滅ぼす。
7.権限の乱用は国家の存続をおびやかす。
8.公務につく者は、早く出勤し、遅く退出する。
9.真心は人の道の根本である。真心をもって仕事をすること。
10.人間は賢愚を同時に備えている。耳輪に端がないのと同じである。自分がすべて正しいと言う考えを持たない事。
11.信賞必罰の励行。
12.税金は重複して取ってはならない。
13.職務に対しては熟知し、公務を停滞させてはいけない。
14.嫉妬の禁止。
15.私心を捨てて公務にあたる事。
16.人民を使役する時は、時期、環境を考えてする。
17.重大な事柄を判断する時は、必ず衆知を集め議論したうえで決める事。

 本日のテーマは、『十七条憲法』第十四条です。
 漢文では『群臣百寮無有嫉妬 我既嫉人人亦嫉我 嫉妬之患不知其極 所以智勝於己則不悦 才優於己則嫉妬 是以五百之後 乃今遇賢 千載以難待一聖 其不得賢聖 何以治国』です。

 これを読み下して見ましょう。
 『群臣百寮は嫉妬有事無かれ 我既に人を嫉めば人亦我を嫉む 嫉妬之患其の極みを知ら不 己の智に勝る所以に於いて則ち悦ら不 才己に優るに於いて則ち嫉妬す 是を以て五百之後 及今賢に遇い 千載を以て一聖を待ち難し 其れ賢聖を得不ば 何を以て国を治めん』

 では、現代文です。群臣は家来、百寮は役人ですから、ここは上司と部下と訳しておきます。
 『上司も部下も嫉妬する事のないようにしなさい。自分が人を嫉めば、人もまた自分を嫉む 嫉妬で心を痛めることに限りはない。だから自分より優れた人に対して良い感情を持たない。自分より才能がある人を嫉妬する。そんな事をしていると、いつまでたっても賢い人に遭う事はない。千年たっても一人の聖人に遭う事も難しい。賢く偉い人材がいなければ、何を以て国を治められるのか』

 ここで言われている「嫉妬」が、なぜ「を失する事と関係があるのでしょう。ここまで、十七条憲法を読んできますと、「礼」とは「信」すなわち「真心」である事が、前々回の第九条で共通の認識になったと思います。
 真心は、ウソ偽りのない心と学びました。では、嫉妬の心は、ウソ偽りがあると言えるでしょうか。嫉妬心は、自分の知らない内に芽生えるものですから、正直な気持ちだと思います。という事は、ただ嘘偽りがなければ良い訳でもなさそうです。

 「礼」の要素として、ただ嘘偽りがなければ良いかと言うと、そうではありません。相手に対する思いやりの気持ちも大切だと思います。であれば、嫉妬心には、相手を思いやる気持ちが欠ける事は言うまでもありません。
 その事に気がつけばまだしも、嫉妬と言うのは湧き上がる感情ですから、嫉妬が起きないような性格にしていく、生活習慣がなければなりません。
 前にも書きましたが、千回万回唱えても叶いません。まず、「礼節」を欠く事を、人間の行動として疑問を感じるようにならないといけないと思います。

 今で言う『上から目線』でしょうか、人と競っても『どんぐりの背比べ』に過ぎないのですが、人は人と競う事に興味があるようです。正当な手段で競う場合はまだしも、相手に対して嫉妬心があり、なんとか蹴落とそうとして、正当な手段ではない方法を考え出す事は、十分ありえます。私が考えた節度の範疇には、ない要素なのかも知れません。

 私はよく弟子に言うのですが、自分と同じくらいだと思えば、自分より優れている、自分より劣っていると思うと自分と同じ位のレベルであると。
 物理的に背丈を比べても、自分と同じ位の高さと思うと、自分より高く、自分より低いと思うと、同じくらいであったり、兎角自分が見る視線にしても目線にしても、『上から目線』で見えてしまうようです。


 これも、自分では気づかない、人に対する嫉妬かも知れません。

 私の母は、「上見たらキリがない、下見てもキリが無い」とよく言っていました。言葉を変えれば、「足るを知る」という事です。そんな教育方針の中で育ちましたから、人に対して、羨むとか、嫉妬するという事は、現在まで幸いにしてありません。

 私は、今の自分を知る事が、とても大切であると思っています。ですから、空手の「型」稽古でも、一番大切なポイントは、自分を観る事に置いています。表面的な部分でも良いので、自分を客観的に知って、初めて向上出来るのですが、往々にして、先ほどの人と比べるのと同じですが、自分より遥に上手な人と同じ事をしようとしてしまいます。
 目的は高い所に定めれば良いのですが、目標は身近な所に置かないと、挫折に終わり、挫折感で心まで壊してしまいます。
 ちなみに、私は、目的は、的で動かないもの、目標は、標的で常に流動的なもの、そして、目標を達する事により、次の目標を設定して、目的に少しでも近づこうとするものと理解して実行してきました。

 成功したい、人に勝ちたいと思う事は、人間本来持つ向上心であると思います。よく、ハングリー精神とか、野心など、色々な向上心を表す言葉がありますが、いつまでもその気持ちを引きづっていたのでは、人間としての向上を達する事はできません。実るほど頭を垂れる稲穂かなと自分自身に目を向ける事も『礼節』には必要な事だと思います。折角『功成り名遂げる』事で目的に達しても、晩節を汚したくはないですね。
 嫉妬する前に、自分の居所を確認してみてはどうでしょうか。