今日の文字は『判断はんだん 』です。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百七十七段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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判断
☆勝手にナポリタン 1人前
用意する物
(1)スパゲティ 【50グラム】 好みの太さの物を用意、量は食べる分。
(2)玉ねぎ 【1/4個】
(3)ピーマン【 1/2個】
(4)ウィンナー 【1本】
ウインナーが無ければ、ハム、ベーコンなどでOK。
(5)●ケチャップ 大さじ【2杯】
(6)●牛乳 小さじ【1杯】
(7)●ガラスープ 【小さじ1/4】
(8)茹で汁【 お玉1/4杯】
(9)サラダ【油 適量】
(10)塩【ゆでる時用 小さじ1/4】
作り方
(1)サラダ油を熱してからウィンナーを斜め細切りで炒める。
(2)玉ねぎ半月切りとピーマン細切りを入れて炒める。
(3)一旦火を消して置く。
(4)お湯を塩小さじ1/4を入れてゆでる。
(5)沸騰したらパスタをゆでる。
(6)1分ぐらい前になったらフライパンに火をつける。
(7)パスタが茹で上がったら水を切って、フライパンに入れて、ゆで汁を適量入れる。
完成です。できれば、器は鉄の物を熱くして盛ると本格的?な喫茶店風のナポリタン。
汁系は、ネタ切れなので、麺類にしました。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第百七十七段 〔原文〕
鎌倉の中書王にて御鞠ありけるに、雨ふりて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせむと沙汰ありけるに、佐々木隱岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひ無かりけり。「取りためけむ用意ありがたし」と、人感じあへりけり。
この事をある者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥しかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しく、異樣のことなり。庭の儀を奉行する人、乾き砂子をまうくるは、故實なりとぞ。
『現代文』
『鎌倉の中書王で、御毬の会があるのに、雨が降った後の庭が乾かないので、どうしようかと話し合われた時、佐々木隠岐入道が、鋸の屑を車に積んで、沢山献上し、庭一面に敷いたので泥の心配がなくなった。「取り集めて貯めて用意されていたのは、まれに見る立派さだ。」と感心しあった。
この事をある者が話したところ、吉田中納言が「乾いた砂の用意はなかったのか」と言われたので、恥しく思った。素晴らしいと思ったおがくずは、みすぼらしく、異様である。庭を整備する人は、乾いた砂を用意しておくのは昔からの習わしである。』
『判断』
私はどちらかと言うと、佐々木隠岐入道の機転を褒める方です。逆に吉田中納言のように、人の手柄を貶す振る舞いをする人には、批判的だと思います。
吉田中納言のように後からなら、何でも言えると思います。であれば、自分で乾いた砂を用意しておくべきです。この文章では、吉田中納言はその場にいたとは思えないので、ただ昔からの習わしを語っただけかも知れません。
仮に吉田中納言の言うように、乾いた砂を用意するのが習わしであったとしても、それは庭を整備する人、しいてはその管理責任者にその非があると思います。いったい、誰を責めての言葉でしょうか。いや責めているのかどうかも判りません。ただこれを話しに出した人が、その事に気付かずに恥ずかしい思いをしただけの事かも知れません。
世の中には、今でも、後からじゃんけんの人を見る事が出来ます。
もし、このような人が上司になれば、嫌われる事、間違いありません。そして、部下であれば、出世は諦めた方が良いでしょう。と、願います。
何でも、仕来り通り、習わしの通りに物事が運べば良いのですが、人のする事ですから、失敗もあると思いますし、仕来り通りには運ばない事もあると思います。その失敗や偶然に起こった事を機転を利かせて、何事もなく事が運ぶようにするのが智慧と言うと思います。
もちろん、この場合は習わしの通りに乾いた砂を用意できなかった、庭の整備に携わる人は、反省すべきとは思いますが。