空手道における型について【22】
観空大 46~65

 

 文章の青字で記述したものは、現在、日本空手道髓心会で行っている方法です。しかし、これも全日本空手道連盟の指定の方法がありますので、これに従って練習しているのが実情です。これについては、記述していません。
 なお、緑字で記述したものは、原点に戻した方が合理的と思われるところです。

 昭和10年当時まだ立ち方、受け方、突き方の名称が定まっていなかったと思われる記述があります。この場合も現在の方法として、青字で書く事にします。現代文にしても意味が分かりにくい部分については、赤字で追記するようにしています。同じく、写真(『空手道教範』にある)を参照の部分については、赤字文章で分かるように追記しています。『空手道教範』に掲載の写真は著作権の関係もあると思いますので、載せていません。
〔ページを遡る煩わしさを避けるため、説明部分は、前回までと重複して記載しています。

 

観空大かんくうだい-46~65

「空手道教範」では、観空となっていて、大はありません。現在は、小がありますので、大をつけて松濤館流の流れをくむ団体では、観空大と呼称しています。
今回は、観空大ですが、少し長いので、序盤・中盤・終盤と三つに分けて掲載します。今日はその終盤です。
序盤は、 観空大序盤を参照。
中盤は、 観空大中盤を参照。

46.右足を軸として左廻りに左第一線に左足を移す(左足前屈)と同時に、左拳にて左方中段内受け、右拳右腰にとる。
『現在はこの受け方の名称を、外受けと呼称しています。』

 一口メモ 

 現在では、全日本空手道連盟発行の空手道形教範 指定形においても、外受けとの記載が見られます。
 私は、この受け方を外受けと呼称するようになったのは、解剖学上、手のひらを前に向けた状態で腕の内外を表現しているので、外受けとしました。
 私が習い始めた頃は、この受け方を横受けと呼んでいた記憶があります。そして、東京の致道館では内受けと呼んでいました。ですから、髓心会を起こした時にもこの呼称を継承しました。
 一般的には、無造作に腕を下に下ろすと、手の平が体側に向くので、外受けの時に受ける部分は親指側になりますから、前を向きます。仰向けに寝ると、手の平が床側になる人もいるでしょう。このようにして、色々な人が色々な呼び方をすると、収拾がつきません。
 呼び名に拘る必要はありませんが、、誤解を招くと思いますので、解剖学を持ち出した訳です。

47.足そのまま、左拳を引くと同時に右方中段突。

48.足の位置そのまま、上体を右へ捻じって(右足前屈)右拳で右方中段内受け、左拳腰に引く。

49.下体そのまま、右拳を引くと同時に左拳中段突。

50.下体そのまま、左拳を引くと同時に右拳中段突。
(注)(49)(50)は連突きをする。

51.左足で立って右方(第二線後方)に振向くと同時に、右足を左膝前に摺り上げ、両拳を左腰に重ねて、右横蹴りの構えをする。

52.左足で立ったまま、第二線後方に向って右裏拳にて上段を打ち、同時に右足刀にて下段を蹴放す。
『髓心会では、中段又は、上段の横蹴込をしています。私は相手の腕の付け根を目標にしています。』
横蹴りは、松濤館流の特徴となっていますので、原点には戻さずに、知識だけは、持っていた方が良いでしょう。

53.後方第二線上に右足を下すと同時に、(右足後屈)第二線前方に振り向き、左手刀中段受け。

54.第二線上に右足一歩前進すると同時に、右四本貫手にて中段突(掌左向)左手刀は右腕下を滑るように、右脇下にとる(掌下向)。

55.右手を逆に捻じられたものと仮想して(但し平安三段の場合とは反対に、右廻しに)右肩の上に捻じるように、身体と共にねじ回しながら、右足を軸として左廻りに、左足を第二線前方に踏出す(騎馬立)と同時に、左裏拳にて大きく左方(第二線前方)上段を打つ。左裏拳の極まる時、右拳は右腰に構えよ。顔左向。

56.左方(第二線上前方)へ(寄足にて進むと同時に、左拳を大きく廻して裏拳にて上段を打つ。姿勢 崩さないよう。
『騎馬立ちのままです。』
『髓心会では、左の拳は右肩に引き寄せ、寄り足で歩を進め、肩の高さに鉄槌を打つようにしています。』
『この動作は原点に戻した方が良いと思っています。理由は裏拳を鉄槌に変える根拠が曖昧だと思うからです。』
髓心会では、鉄槌と呼称していますが、全日本空手道連盟では、拳槌と呼称しています。ちなみに、「空手道教範」の第二篇空手の組織第一章拳の握り方には、手槌と呼称されています。ただし、当時は道場で口頭で聞いていますので、手槌を鉄槌と聞き間違えたのかも知れません。

57.足の位置そのまま、上体を左へ捻じりながら、右猿臂にて左方(第二線前方)の敵に一撃、左掌にて右肘を打つ。左足は自然前屈になる。
『髓心会の場合は、前屈立にまでにはならず、騎馬立の変形で立っています。』
『原点のように前屈立の方が、スムーズな動きができますので、原点に戻します。ただし、通常の前屈立ではなく、肩幅を開かない前屈立が良いと考えます。』

58.足の位置そのまま(右足前屈になる)、上体を正面(第二線右方)に復すると同時に、顔は右方(第二線後方)に向け、両拳を左腰に重ねる。
『髓心会では、この場合も上半身を捻るだけで騎馬立の変形です。
『原点のように前屈立の方が、スムーズな動きができますので、原点に戻します。ただし、通常の前屈立ではなく、肩幅を開かない前屈立が良いと考えます。』

59.姿勢そのまま、右拳にて下段払。

60.右足を軸として、(60)のように右廻りに左足を第二線後方に移す(騎馬立)と同時に、左拳を上より大きく打下し、右拳を高く振り上げる。

61.姿勢そのまま崩さないよう、(61)のように、振り上げた右拳を左拳の下(左右の手首が交叉するよう)に打下ろす。

62.その位置で、両手を開きながら(手首交叉したまま)頭上に突上げると同時に、両膝を伸ばす。(62)の手の形参照。

63.両手を頭上に組んだまま、(61)のように右足を軸として右廻りに、左足を第二線前方に移す、右足前屈になる(第二線後方に向う)。

64.下体そのまま、手首組んだまま両手を握りしめながら少しく引き下げる(目より見下す高さまで)。
『(62)から(63)に回転する時に、両手を(64)の状態になるようにしています。ですから、右足前屈の姿勢が極まる時にはすでに、(64)の姿勢になっています。』

65.第二線後方に向って、左足にて蹴上げると直ぐに、右足も続けて高く蹴上げる(左足の地に着かぬ先に右足を蹴上げよ)と同時に、左手を以て前の物を掴み寄せる心持にて左拳を腰に引き、右拳は腹から胸を摺り上げるように大きく廻して、裏拳にて前方(第二線後方)上段に打ち込む。手の極まる時、両足は地上について右足前屈となる。

(直れ)右足を軸として右廻りに、左足を左第一線上に移しながら、上体を屈して右拳(甲下)にて下段を内より払うように廻しながら、左足の地に着く時、両拳は腿の前に自然に垂れる。平安初段の用意の姿勢と同じである。
(注)この観空の型は、空手の型の中でも最も長いものの一つで、俗に「八人の敵と闘う手」と言われている位、非常に変化に富んだいい型である。たとえ敵が何人いても同一人に同時に襲いかかれるのは四人に過ぎないという事は、昔から言われている通りであるから、この型に熟練すれは、何百人を向うに廻しても立派に闘い得るのである。

 一口メモ  

 致道館で習った頃は、ここで言われている(直れ)では、後方斜めに下段内下段払い(旧称のまま)をして、右足を軸に回転しながら、両手を大きく外から廻して、外八字立ちになり、用意の姿勢(手を開いて右手が内側の上に左手を重ねて下腹部の前)に戻っていました。

演武線ではイメージが湧きにくいと思いますので、実際の足跡をたどってみました。終盤足跡とあるのは、46.~65.までの足跡です。観空大足跡と書かれてあるのは、序盤・中盤・終盤の全足跡です。
 次回は、十手前半を掲載します。

【参考文献】
・富名腰義珍(1930)『空手道教範』 廣文堂書店.
・富名腰義珍(1922-1994)『琉球拳法 唐手 復刻版』 緑林堂書店.
・Gichin Funakoshi translated by Tsutomu Ohshima『KARATE-Do KyoHAN』KODANSHA INTERNATIONAL.
・杉山尚次郎(1984-1989)『松濤館廿五の形』東海堂.
・中山正敏(1979)『ベスト空手6 抜塞・観空』株式会社講談社インターナショナル.
・中山正敏(1989)『ベスト空手6 抜塞・観空』株式会社ベースボールマガジン社.
・内藤武宣(1974)『精説空手道秘要』株式会社東京書店.
・金澤弘和(1981)『空手 型全集(下)』株式会社池田書店.
・笠尾恭二・須井詔康(1975)『連続写真による空手道入門』株式会社ナツメ社.