文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【80】

 今日の文字は『謙虚けんきょ』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第七十九段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 謙虚

 
★『小泉純一郎元首相「憲法改正、来年にできるわけがない」 野党第一党との協力主張(株式会社 産経デジタル 2018/10/08 18:28)』
 と見出しがありました。

 憲法は、九条も含めてそろそろ全文を見直しても、良い時期だと思います。今回『徒然草』を読んで見て、また、このブログを通して、古い書籍を読んで来ましたが、時代を経ると、言葉そのものが理解できなくなっています。憲法が施行されて71年経ちますが、その間色々社会情勢が変わっているのにいつまでも旧態依然としているのは、如何なものでしょう。

 憲法はあくまでも国民の為にある社会のルールであれば、国民が義務教育を終えるまでに、一度は全文を読み解く事ができるようにするべきだと思いますし、また義務教育を終えた人であれば、意味を説明してもらうまでもなく読み解けなければ、意味がないと思っています。

 憲法学者がよってたかって、憲法違反だとか、憲法違反ではないとか、議論されていること自体が問題だと思います。

◇その記事の中で、『安倍首相が決断すれば「原発ゼロ」が実現可能』と言う言葉がありましたが、実現可能かどうかは分かりませんが、少なくとも人類の存続に係わる問題を先送りにして良い訳がありません。経済効率ありきの政策は、禍根を残す事になると思います。今すぐにでも「原発ゼロ」の方向性を明示するべきだと個人的に思っています。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第七十九段 〔原文〕

 何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は知りたる事とて、さのみ知りがほにやは言ふ。片田舎よりさしいでたる人こそ、萬の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば世に恥しき方もあれど、自らもいみじと思へる氣色、かたくななり。

 よくわきまへたる道には、必ず口おもく、問はぬかぎりは、言はぬこそいみじけれ。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『どんな事でも精通したふりをしない方が良い。立派な人は、知っている事でもむやみに知った振りして言わない。片田舎から人前に出た人は、全てを心得ているような受けごたえをする。
 それを聞いていて非常に恥ずかしく思う人もいるが、本人は得意げな様子であるが見苦しいことである。

 よく熟知している専門分野では、必ず慎重に、聞かれない事は言わないのが良い。 』

 

 

『謙虚』

 『何事も入りたたぬさましたるぞよき』と原文にあり、『どんな事でも精通したふりをしない方が良い。』と現代文にしましたが、『精通したふり』と言うのは、知ったかぶりとも少しニュアンスが違います。

 知ったかぶりは、少しだけ知っていて、熟知しているように言う事ですが、この『精通したふり』は、よく知っていたとしても、熟知しているように言わない方が良いと言っています。

 徒然草の文章に、兼好法師が『片田舎』と言う言葉を何度か使っていますが、推測ですが、『世間知らず』と言いたいのだと思います。ようするに、『井の中の蛙大海を知らず』と言う事だと思います。

 ですから、都会とか田舎とかの地域差で、捉える必要も無いとは思いますが、当時の知識階級は殆どが『都』にいたのかも知れません。この辺りは、歴史学者に委ねましょう。

 この文章の中で1点だけ、同意出来ない箇所があります。

 最後の『よくわきまへたる道には、必ず口おもく、問はぬかぎりは、言はぬこそいみじけれ。』と原文にある所です。

 『よく熟知している専門分野では、必ず慎重に、聞かれない事は言わないのが良い。』と現代文に訳しましたが、この文章の展開には納得が出来ません。

 なぜ、よく熟知している事に対して、自分からは話してはいけないのでしょう。ここで、『必ず』と書いてある所に疑問が残ります。

 確かに自分からこれ見よがしに、話すのは品がないとは思います。ですから、必要の無い所で、知識をひけらかすのは、人間性を疑われても仕方がないと思います。

 私の感覚では、知っているのに勿体ぶっているように思えます。知識を得る事は大変な労力がいりますし、年月もかかります。だからと言って、後生大事にしまっておくものでもないでしょう。

 現在ではその知識を提供する代わりとして、地位や財力を得ているのかも知れません。これも私から見ると、おかしな話に思えます。

 知識や技術は、人の為に使ってこそ価値ある物になると思います。それを出し惜しみしてどうしようと言うのでしょう。このあたりは、時代背景なのでしょうか。

 『必ず』ではなく場合によっては、と言って欲しかったと思います。

 では、現在、本当に専門分野に精通している人がいるのでしょうか。私の知る限りでは、ほとんどの人は、専門分野を熟知されている方も一握りではないかと思っています。それも、ごく狭い範囲の専門分野に限ると思っています。

 人の事はともかく、自分自身の事を見て見ましょう。

 少なくとも、空手道に関しては、専門家と言っても良いでしょう。世間的には。

 理由は、拳歴と呼ばれている空手道に携わった歴史ですが、少なくとも50年以上は空手界にいます。そして段位も世間的には高段者です。

 いまでも、毎日空手の稽古をしない日はありません。そして技術の研究も自分なりには追求していると思っています。古希を過ぎても空手の事が頭を離れる日はありません。

 しかし、他人からの評価よりも、まず自分で納得していませんから、自信を持って断定するまでには至りません。

 他にも現在書道では、正師範の称号を貰っています。段位もそこそこの段位になりました。

 しかし、まったく自信がありません。始めるときよりも反って自信喪失になっています。

 『言はぬこそいみじけれ。』と原文にありますが、私だけの問題かも分かりませんが、軽々しく人に言えるほどの自信が出来るとは、思えません。

 ただ、私の場合は、空手道を教える立場にいますから、私の今持っている技術や精神を伝えていく義務があると思うので、道半ばにしてその思いの丈を披歴しているに過ぎません。

 ですから、『言はぬこそいみじけれ。』と言うよりも、物事はやればやるほど奥が深く、軽々しく言う事ができなくなるのが、本当の姿ではないのでしょうか。

 時代の背景が違うのかも知れませんが、そこまで深く知らなくても、知っている事を『勿体ぶって』あるいは、言わない事で反って物事を深遠にしてしまう効果があるのかも知れません。

 知っている事を言わないと、知っている人から見ると、反って陳腐に映ります。知っている事は、素直に言えば良いと思います。ただし、言い方が高飛車であったり、仰々しくならないよう、謙虚である必要があるのは言うまでもありません。逆に馬鹿にされます。