文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【210】

 今日の文字は『理屈りくつ』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百九段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 理屈

 

☆『北朝鮮サイト「島国のずうずうしさ」 韓国議長発言に反発する安倍首相を批判』
(株式会社 産経デジタル 2019/02/19 14:14)

 「【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮の韓国向け宣伝サイト「わが民族同士」は19日までに、慰安婦問題の解決には天皇の謝罪が必要だとした韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長の発言に安倍晋三首相や河野太郎外相が強く反発していることをめぐって、記事で「虚偽と欺瞞(ぎまん)を体質化した島国の種族にのみ見るずうずうしさの極致にほかならない」と安倍首相らを呼び捨てにして批判した。

 北朝鮮は最近、韓国のいわゆる徴用工訴訟をめぐる最高裁判決や韓国艦艇による海上自衛隊哨戒機へのレーダー照射問題でもメディアで安倍政権非難を強めており、日韓対立に付け入り、両国をいっそう離間する意図がうかがえる。

 記事は「全同胞は、過去の罪悪へのわずかの反省もなく、鉄面皮に振る舞う日本反動らの妄動を徹底的に粉砕してしまうべきだ」と韓国に共闘を呼び掛けた。

 また、「20万人の朝鮮女性を連れ回して性奴隷生活と生き地獄を強要し、840万人余りの朝鮮人を強制連行し、100万人余りを虐殺した」とこれまでも主張してきた根拠のない数字を並べ立て「日本は永遠にわが民族の前にひざまずいて謝罪しても許されようのない境遇だ」と主張した。」

 韓国と北朝鮮の関係が、表面上統一の兆しを見せた途端、両国が日本を敵対視するようになったような気がします。

 同一の敵を作る事によって、国民の目を向けさせようとしているのでしょうか。

 特に、 「日本は永遠にわが民族の前にひざまずいて謝罪しても許されようのない境遇だ」は、注意すべきだと思います。

 拉致問題もうやむやにしようとしているのでしょう。

 この問題を無視する方法も一つの方法かも知れません。しかし、この手の考え方を持つ国は、図に乗っていくらでもつけあがると思います。一人の人を考えた場合でも、弱い者ほど自分の立場が強くなればなるほど、相手を徹底時にやっつけようとします。

 しかし日本では、「武士の情け」「敵に塩を送る」といった余裕がその人の評価の対象になります。そんな気持ちが微塵も感じられないのが、弱い人、弱い国なのかも知れません。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百九段 〔原文〕

 人の田を論ずるもの、うったへにまけて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人をつかはしけるに、まづ、道すがらの田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」といひければ、刈るものども、「その所とても、刈るべき理なけれども、僻事せむとてまかるものなれば、いづくをか刈らざらん」とぞいひける。

 ことわり、いとをかしかりけり。

 

『現代文』

『人と田の所有権を争って、訴えに負けた人が、口惜しまぎれに「その田を刈り取れ」と、人を遣わしたが、まず、道すがらよその田も刈って行くのを「ここは争った田ではない。なぜ刈るのだ。」と言われたので、刈る人達は、「その争った田も刈る理由がない、非道な事をするために行くのだから、どの田でも刈る」と言った。

 その理屈は、まことに面白い。』

 

 

『理屈』

 理屈と言うより、屁理屈になるのでしょう。

 こんな道理が通るとは思いません。兼好法師は誰に聞いたのでしょう。結構、徒然草にこういう類の話が登場しますが、読解力の無さが、そう思わせるのでしょうか。

 なぜ、この話を疑うかと言いますと、「刈る人達」は、少なくとも、命令あるいは契約によって、この争って負けた人の指示に従う事になったと思います。

 こんなやり方、ましてその言い訳を、依頼人に言えば、当然激怒されても仕方ないでしょう。でなければ、解雇が妥当だと思います。まるで、頼まれた人に喧嘩を売っているようなものですから。

 また、少なくとも時代背景を考えれば、主人に楯突く事も考えにくいと考えました。

 諫言と言う事も考えられますが、この場合はそのやり方を間違っています。換言するのであれば、それなりに礼を尽くして言わなければ効果がありません。まったくもって無礼者だと思われても仕方ありません。でなければ、馬鹿者でしょう。

 もしくは、換言するのであれば、命懸けでしたように感じるのですが、これは時代劇の影響でしょうか。

 もし、『その理屈は、まことに面白い。』と言いたくて作った話であるとすれば、「その理屈、通りません」と言いたいですね。

 ただ、これが「刈る人達」に頼まず、負けた人本人がそのような行動に出たのなら、傍若無人、負けた腹いせに、何をするか分かったものではありません。であれば、この理屈、呆れかえると言う意味で、屁理屈の極みと言えなくもありません。

 それでも、ことわり、いとをかしかりけり』などとの評価に値しないと思います。直ぐに刈った所の田の持ち主から訴えられるでしょうね。