今日の文字は『政治』です。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百四十二段』を読んで見て、感じた文字です。
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政治
★『【特集】五輪新競技、空手・形の「殺意」 武道の究極とは』
(共同通信社 2018/12/10 16:30)
「—–前略—–
空手をよく知っている人以外にとっては、分かりにくさもつきまとう。そもそも、空手における形とは何なのか。形の修練は、格闘技としての実戦の強さにつながるのだろうか。
—–中略—–
ただ、初めて見る者でも分かる美しさが故に湧く疑問もある。「この人は実戦も強いのだろうか」。
—–中略—–
このぶしつけな質問を、喜友名の師匠の佐久本嗣男・劉衛流龍鳳会会長(70)にぶつけた。会長は「ハハッ」と笑ってから「空手の形には『殺意』があるんですよ」と答えた。
—–中略—–
五輪で実施される空手競技には、形と共に組手がある。こちらは相手と対峙し技を出し合うため、一般的な意味ではより実戦的だ。ただし、攻撃部位は上段(主に顔面)と中段(主に腹部)のみ。空手に限らずスポーツとして行われる全ての格闘技では、急所攻撃はもちろん、攻撃部位や方法にさまざまな禁止事項を加えることで安全を確保する。
—–中略—–
佐久本会長は「殺し方にも品の良しあしがあるでしょう。倒れた相手を何回も踏みつけるのか、バチンと一発で極(き)め『何かあったんですか』という顔をしているのか、ですよ」と続けた。
—–中略—–
「空手は、必要最小限の動きをもって行うべしが鉄則」と佐久本会長。いかにもテレビ受けするような大きなモーションのパンチやキックとは本来、無縁だ。「小さな動きで強く当てる。そのために巻きわらを突いて拳を鍛えたりして、全身を武器化するのです」と語った。
—–中略—–
全日本空手道連盟の並木知徳相談役(74)は「空手が五輪入りする際、勝敗が分かりやすい組手だけでという案もあった。しかし、空手が空手として継承されてきたのは形があってこそ、ということで種目に入った」と明かす。
今も剛柔流の形の修練を続ける並木相談役は「自分を守り、相手を倒してしまうという点では、組手より形の方が理にかなっていると言える。一つ一つの技が何を意味しているのかを理解すれば、観戦もより楽しくなるでしょう」と話した。(共同通信=松村圭)」
この記事は、異論反論よりも、現在公益財団法人全日本空手道連盟では、この二人が答えている方向で、「型」あるいは「形」を捉えていると言う事が分かりました。
ただ、競技として成り立つためには、観客が見て判る必要があると思っています。
並木さんが「空手が五輪入りする際、勝敗が分かりやすい組手だけでという案もあった。」と言われていますが、その通りで、組手にしても、判定に関しては工夫する余地があるように思います。
今回、他のスポーツのようにビデオ判定を取り入れたのは、観客にとって分かり易いと思いました。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第百四十二段 〔原文〕
心なしと見ゆる者も、よき一言はいふ者なり。ある荒夷の恐ろしげなるが、傍にあひて、「御子はおはすや」と問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、物のあはれは知り給はじ。情なき御心にぞものし給ふらむと、いと恐ろし。子故にこそ、萬の哀れは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛の道ならでは、かゝるものの心に慈悲ありなむや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ親の志は思ひ知るなれ。
世をすてたる人のよろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづに諂ひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、僻事なり。その人の心になりて思へば、まことに、悲しからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盜みをもしつべき事なり。されば、盜人を縛め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の飢ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恆の産なき時は、恆の心なし。人窮りて盜みす。世治らずして、凍餒の苦しみあらば、科のもの絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはんこと、不便のわざなり。
さて、いかゞして人を惠むべきとならば、上の奢り費すところを止め、民を撫で、農を勸めば、下に利あらむこと疑ひあるべからず。衣食世の常なる上に、ひがごとせむ人をぞ、まことの盜人とはいふべき。