今日の文字は『鏡』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百三十四段』を読んで見て、感じた文字です。
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鏡
★『対日関係への影響回避を=歴史問題で韓国大統領』
(時事通信社 2018/12/03 06:46)
「【ソウル時事】韓国の文在寅大統領は、最高裁が徴用工訴訟で日本企業に賠償を命じたことなどを念頭に、「歴史問題のために、今後(日韓間で)未来志向的に発展させるべきであるさまざまな協力関係が損なわれてはならない」と強調した。その上で、「歴史問題は歴史問題として別途、賢く処理しながら、未来志向的な協力をしていかなければいけない」と述べた。
—–中略—–
文氏が最高裁判決以降、歴史問題に公の場で言及したのは初めてだが、具体的な対応は示さなかった。」
しばらくは、隣国のやり方を静観して、どのような国なのかをしっかり見定める必要があると思います。
もちろん、十分に認識しているとは思うのですが、ツートラック(2路線)と中略のところに記載が見られますが、言葉は匠ですが、二枚舌としか受け取れません。
日本でも個人的にはそういう人を見かけます。人間関係でも、悪い関係を修復せずに、あの時の事は、別にして、今回は、と言うロジックについて行けないのは、私のみの考えとも思えないのですが。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第百三十四段 〔原文〕
高倉院の法華堂の三昧僧、何某の律師とかやいふ者、ある時、鏡を取りて顔をつくづくと見て、我が貌の醜く、あさましき事を餘りに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。御堂の勤め許りにあひて、籠り居たりと聞き傳へしこそ、あり難く覺えしか。
賢げなる人も人の上をのみ計りて、己をば知らざるなり。我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず。されば、己を知るを、物知れる人といふべし。貌醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、藝の拙きをも知らず、身の數ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず、身の上の非をも知らねば、まして外の譏りを知らず。たゞし、貌は鏡に見ゆ、年は數へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。貌を改め、齡を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞやがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ閑にゐて身をやすくせざる。行ひ愚かなりと知らば、何ぞこれを思ふ事これにあらざる。
すべて人に愛樂せられずして衆に交はるは恥なり。貌みにくく心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪の藝をもちて堪能の座に連なり、雪の頭を戴きて壯りなる人にならび、況んや、及ばざることを望み、叶はぬことを憂へ、來らざる事を待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の與ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥しむるなり。貪ることのやまざるは、命を終ふる大事、今こゝに來れりと、たしかに知らざればなり。