文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【121】

 今日の文字は『実用じつよう』です。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百二十段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 実用

★『安倍首相帰国 文大統領とは「戦略的放置」』
(株式会社 産経デジタル 2018/11/18 20:38)

 「安倍晋三首相は18日夜、シンガポール、オーストラリア、パプアニューギニアの3カ国歴訪を終え、政府専用機で羽田空港に帰国した。5日間の歴訪で「自由で開かれたインド太平洋」構想や自由貿易推進の意義を重ねて発信し、各国首脳との会談も積極的にこなした。しかし、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領との会談はなかった。元徴用工による訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じた判決への対応を示せない文氏と会談しても無意味だと判断、「戦略的放置」に徹したようだ。
—–中略—–
文政権の国内世論しか見ないような対応に、首相同行筋は「むなしさが漂う」とこぼした。(原川貴郎)」

★『徴用工判決の背後にある安倍首相の危険な対韓外交<菊池英博氏>』
(HARBOR BUSINESS 2018/11/19 08:38)
<文/菊池英博>エコノミスト。東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)を経て1995年文京女子大学教授に。現在は日本金融財政研究所所長
提供元/月刊日本編集部
「—–前略—–
◆第一の「問題の根源」、慰安婦問題
—–中略—–
「第二の根源」は、本年2月のピョンチャン五輪での安倍首相の発言だ。
—–中略—–
「第三の根源」は「日本政府は南北朝鮮の停戦を望んでいない」と報ぜられたことだ(東京新聞、2018年9月24日)。
—–中略—–
安倍首相の韓国に対する政治姿勢は世界の潮流に反し、日本を孤立させる危険な外交である。」

 この二つの記事を取り上げたのは、内容について詳細には引用していませんので、解らないと思いますが、安倍晋三首相に対する、両極端な内容だからです。

 常に私たちは、どちらを信じてよいのか、実際に専門家でもない人間にとっては、検証する手立てもないのに、毎日のようにこのように180度違う意見を見せられます。そのどちらを取るかは、国民の自由とされています。

 果たして、これが自由なのでしょうか。疑問に感じる人は、自分で調べろ、と言う事ですかね。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百二十段 〔原文〕

 唐の物は、藥の外は、みななくとも事欠くまじ。ふみどもは、この國に多く広まりぬれば、書きも寫してん。唐土船の、たやすからぬ道に、無用のものどものみ取り積みて、所狹く渡しもて來る、いと愚かなり。

 「遠きものを寶とせず」とも、また、「得がたき寶をたふとまず」とも、ふみにも侍るとかや。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『  唐の物は、薬の他は、無くても事欠かない。書物は、すでに国内に広く広がっていて、書き写す事もしている。中国から来る船が簡単な航海ではないのに、必要ない物ばかり満載して来るのも愚かしい。
 「遠くにある物は財産にしない」とも、また、「簡単に手に入らない財貨を尊ばない」ということも、書物には書かれいるとか聞く。』

 

 

『実用』

 この文章も今風と言うか、私の読解力の無さなのか、素直に読むと、脈絡に違和感を感じます。

 ここには、次の事が書かれていると思います。

    1. 中国の物は薬以外はいらない。
    2. 書物は既に事足りている。
    3. 必要でないものまで運んでくる。
    4. 遠くの物を財産にしない。
    5. 珍しいものを尊ばない。

 この、 1.2.に対して、3.は、薬以外の物は、航海も大変なので、必要なものだけ運んでくれば良い。と言っていて、一応1.2.そして3.で完結している文脈だと思います。

 ですから、4.5.を言うのであれば、3.の無用の物の中に、財産になる物、そして、珍しい財貨について、書かれてある必要が、あるのではないかと思います。

 もやっとした中で、兼好法師の言いたい事は、何となく伝わるのですが、当時の文章の書き方なのでしょうか。それとも、文学と言うのはこういう言い回しをして、相手に考えさせる余韻を残すような書き方をするのでしょうか。

 では、もやっとしたままでは、夜も眠れないので、私流に文章にしてみましょう。

 『唐の物では、薬以外は必要ない。書物も既に来ているし、書き写す事もできている。渡航が簡単ではないのに、金銀財宝を山ほど積み、必要としない物まで運んでいる。
 昔の書物には「遠くにある物を宝にしない」あるいは「珍しい宝を珍重しない」と書かれてあると聞く。』

 と、書くと、私にはすんなりと頭に入ります。

 それにしても、この「唐」と書かれてあるのも、鎌倉時代になってからも、「唐」と言っていたのでしょうか。「唐」と言う国は、確かに今の中国にありましたが、政権が変わるたびに国の名前も変わっています。

 『平安時代の学者である菅原道真は、894年に「これ以上、唐から学ぶ事は少ない」と遣唐使の廃止を朝廷に進言しているが、それから10年程度のうちに唐は滅亡した。(出典:歴史まとめ.net)』と言う記述が見られます。

 確かに、『唐』の国は、907年に滅亡していますので、兼好法師の生きた時代が1283年から1350年と考えられていますので、兼好法師が生まれる376年も前に滅んでいる事になります。

 兼好法師の時代を考えますと、中国では『元』と言う国であったと思われます。『元』は1206年-1367年ですから、兼好法師が生まれる前から『元』であり、兼好法師が亡くなってもまだ『元』であっと思います。

 しかも、元寇げんこうと言う名前で有名な、『元』が日本を攻めた、一回目が1274年(文永の役)、二回目が1281年(弘安の役)ですから、兼好法師が生まれる前です。

 ただし、政治的対立とは違い、経済的・文化的交流はあり、【永仁6年(1298年)に「藤太郎入道忍恵」という人物が乗る商船が樋島(現在の長崎県新上五島町日島)沖にて大破したが、流出した荷物の中には北条得宗家関係者の荷物も含まれていたとされている(『青方文書』)。また、元亨3年(1323年)頃に現在の韓国全羅南道新安郡沖で沈んだ商船が昭和51年(1976年)に発見され、元から日本への輸入品とみられる大量の中国製陶磁器や銅銭をはじめ、日本・中国製の遺物が多数発見された(新安沈船)。この船は東福寺造営のために派遣されたと言われている。】(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 ですから、この1323年頃に沈んだ商船の積載物から推測すると、兼好法師の時代に相当の品物の貿易がされていたと思います。この品物を求める人が日本の国内に沢山いて、これに対して苦言を呈したのかも知れません。

 それにしても、薬は日本の物よりも良かったのか、それとも、まだ医療に対しての知識は、『元』の方が上だったのかも知れません。

 現在の中国から学ぶべきことは、少ないかも知れませんが、 日本の国は、中国から学んできた事も事実です。

 ですから、兼好法師も『書経』『老子』を引用して、当時の有様を伝えているのだと思います。次に原文を載せておきます。

『書経 卷之四  蔡沉集傳』
不作無益害有益、功乃成。不貴異物賤用物、民乃足。犬馬非其土性不畜、珍禽奇獸、不育于國、不寶遠物、則遠人格。所寶惟賢、則邇人安。孔氏曰、遊觀爲無益、奇巧爲異物。蘇氏曰、周穆王得白狐白鹿、而荒服因以不至。此章凡三節、至所寶惟賢、則益切至矣。
徒然草原文「遠きものを寶とせず」

『老子 道徳経 第三章』
不尚賢、使民不爭。不貴難得之貨、使民不爲盜。不見可欲、使心不亂。
是以聖人之治、虚其心、實其腹、弱其志、強其骨。常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。
爲無爲、則無不治。
徒然草原文「得がたき寶をたふとまず」