今日の文字は『置物おきもの 』です。装飾品や骨董品の置物です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百十八段』を読んで見て、感じた文字です。
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置物
★『鳩山元首相、徴用工に言及…韓国で戦争被害シンポ』
(株式会社 産経デジタル 2018/11/17 01:14)
「 韓国京畿道(キョンギド)で16日、徴用工問題など日本による「戦争被害」をテーマにした国際シンポジウムが開かれた。北朝鮮から参加した朝鮮アジア太平洋平和委員会の李種革(リジョンヒョク)副委員長は「日本は謝罪や補償はおろか認めさえしていない」と批判。「北と南が手を握って日本の罪悪を暴き、不幸な歴史が繰り返されないよう努力すべきだ」と強調した。
鳩山由紀夫元首相も講演し、韓国最高裁が日本企業に賠償を命じた徴用工判決について「日本企業や政府は厳しく受け止めなければならない」と指摘した。(ソウル 桜井紀雄)」
鳩山由紀夫元首相と言う人は、一時「宇宙人」と呼ばれた人です。精力的に今でも、政治活動や講演をしているようですが、国内でこの人を呼んで、何を語らせようと言うのでしょう。
この記事を見ても、一体何をしたいのか、理解に苦しみます。資産家の子供に生まれれば、何をしても良いのでしょうか。この人の勝手な行動がどれほど、日本と言う国にとって、不利益をもたらしているか、考えないのでしょうね。と言うより、日本人としての自覚や誇りなど、この人は持っていないから、「宇宙人」と呼ばれたのでしょう。日本国籍を持たないで、発言してほしいと願います。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第百十八段 〔原文〕
鯉の羮あつもの 食ひたる日は、鬢びん そゝけずとなむ。膠にかは にも作るものなれば、粘りたる物にこそ。
鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉、さうなきものなり。雉・松茸などは、御湯殿の上にかゝりたるも苦しからず。その外は心憂きことなり。中宮の御方の御湯殿の上の黒御棚くろみのたな に、雁の見えつるを、北山入道殿の御覽じて、歸らせたまひて、やがて御文にて、「かやうのもの、さながらその姿にて、御棚にゐて候ひしこと、見ならはず。さま惡しきことなり。はかばかしき人のさぶらはぬ故にこそ」など申されたりけり。
『現代文』
まず、我流で現代文にしてみましょう。
『鯉こくを食べた日は、髪がバラバラにならないと言われている。鯉は膠にも使われるほど粘りが強い。
鯉だけは、天皇の御前でも料理される、特別な魚である。
鳥では雉がすばらしい。雉や松茸は、御湯殿に掲げられているが、見苦しくはない。その他は良くない。
中宮の御方の御湯殿の上の黒御棚くろみのたな に雁が見えるのを、北山入道殿が見られ、帰られてから、手紙で「あんなものが、そっくりそのまま棚に揚げてあるのは、見た事がない。よろしくない。しっかりした人がお側についていないからこんなことをするのだ」と申し上げられたということだ。』
『置物』
この話、どのように捉えれば良いのでしょう。当時、常識とされていたと思われる、大切な物のイメージはわきますが、何が良く、何が悪いのか、その理由がはっきりしません。
いつものように、この引用では、鯉が特別扱いされる理由も分かりません。膠の材料にされたり、髪の毛に良い事と、天皇の前で料理される事に、どんな繋がりがあるのかと思ってしまいます。
また、雉と松茸がなぜお風呂場に掲げてあるのでしょう。これも理解するには、相当に歴史に詳しい人でないと解らないのかも知れません。
それで、すこし、調べて見ましたら、どうも御湯殿と言うのは、お風呂でもなさそうです。お風呂の意味と、「一説に、湯を沸かしたり、食膳(しよくぜん)を整えたりする所ともいう。」 (出典:学研全訳古語辞典 学研.)の意味もあるようです。台所のような所を言っているようです。
であれば、雉や松茸が、吊るしてあってもおかしくは無いでしょう。しかし、それでも人目につかせても良いのは、魚であれば鯉、鳥であれば雉、植物であれば松茸と決まっていたのかも知れません。
それを雁が『さながらその姿にて』 とありますから、食材そのもの、すなわち、屍しかばね の事でしょうか、黒漆を塗った棚に、無造作に置いてあったのかも知れません。
しかし、大阪弁で言えば「いけずやなあ、このひと!」 と思います。人それぞれに感じ方はあるかも知れませんが、これを奥ゆかしいとは、私は思いません。
言いたい事があるなら、言葉を選んで、注意すれば良いではないかと、思ってしまいます。何も、手紙に認したた める必要のある事でしょうか。反って問題を大きくして、その仕事をしている人に恥をかかせ、もしかしたら、職を失うかも知れません。
誰に宛てた手紙とは書かれていませんが、多分、文面から察するに、北山入道殿と言われる人が、注意をする事のできる人だと推測できますが、少なくとも御湯殿の管理者からそれ以上の地位にある人に宛てたものでしょう。
時代が違うので、何とも言いようがありませんが、もし、今の世の中でそんな事をする人がいたら、絶対に付き合いたくありません。
確かに、その場では言いにくい事もありますが、人の失敗はその場だけで済むなら、見逃すのも優しさ だと思うのですが、何でもかんでも暴露すれば良いとは思いません。
この文章の一文字を『置物 』としたのは、またまた私の早とちりです。サッと読んで、この場合は二文字になりましたが、漢字を頭に浮かべて、半紙に書いています。
この『置物』 としたのは、雁を剥製 だと思ったのです。食材である事に気付きませんでした。
まさか、漆で塗った棚の上に、鳥の死骸が置いてあるとは思いませんでした。黒の漆の棚ですから、座敷においてある違い棚のような物を想像していました。
ですから、よく床の間に置いてある『置物』 のような物と思ってしまったのです。
しかし、時代と言えばそれまでですが、雉は良くて、雁は何故ダメなんでしょうね。その辺りは、調べても解決には至りませんでした。
人に注意すると言うのは、難しいと思います。ただ、何度言っても直らないようであれば、叱責もやむを得ないと思いますが、知らないからと、ここでされたような、やり方は褒められたものでもありません。
私は昔から、叱る前に教えてやれと、思っていました。自分が常識と思っている事は、世界中で通用する事でもないのです。
反って、自分の器を小さくしてしまうのが、人に注意する事に繋がります。
まず、その業界、その組織、その仲間で共有している常識を、衆知徹底する事が必要だと思います。
この段を読んで、その当時の仕来りや、ご馳走と言われる物が、ちょっとだけ分かったように思いますが、私が気になったのは、この北山入道殿と言われる人、調べて見ると、西園寺 実兼太政大臣と思われます。琵琶の名手であり、有名な歌人でもあったようです。
私から見ると出世街道をひたすら走りぬけ、最後には出家したと見られますが、どうもこの段や【徒然草 第九十四段】でも、「北面の武士の某は、敕書を持っているのにも拘わらず、下馬して挨拶をした。この程度の非常識な者が、どうやって君に仕えられるか」 と、後に告げ口して解雇にまでしています。
こういう、人が現在でもいます。その時に本人に注意する訳でもなく、後にその上司に告げ口するといった人です。
西園寺実兼と言う人は、徒然草に何度か語られていますが、兼好法師の良き友であったのでしょう。
私は、徒然草を読んで、兼好法師の人となりを少しだけ垣間見た気がするのですが、仮に現在にこういう人がいたとしても、友人にはなれないと思います。もちろん、相手にしてくれはしないでしょうが。