文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【116】

 今日の文字は『為体ていたらく』です。ていたらくとも書きます。意味は分かりますが、こんな文字を書くとは、今まで知りませんでした。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百十五段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 為体

 
★『【ボストンから一言(22)】徴用工判決に韓国人から異論「請求する相手違う」』
(株式会社 産経デジタル 2018/11/14 07:05)

 「韓国大法院(最高裁)が、新日鉄住金(旧新日本製鉄)に対し、元徴用工の韓国人4人に賠償を命じる判決を下した翌日の10月31日に韓国人男性の友人からメールが届いた。

 90歳近い友人のL氏は、日本統治の朝鮮半島で1944年から適用された国民徴用令に関し「国民徴用令の以前は、(家族同伴の場合も含め)朝鮮人労働者が日本に渡ったのは、日本人労働者の不足問題のためで、日本企業が朝鮮人や台湾人を募集し給料が支払われています」と述べている。以下略」

 この問題は、色々な見方が出来ると思います。個人の請求権は残っているとか、橋下徹元大阪市長がテレビ番組で言っていましたが、国と国との約束だが、当時の韓国は独裁社会で国民の総意で選ばれた人が国を治めていなかった。と言う話をされていましたが、筋は通った話だとは思いますが、私はこの問題が国と国との約束として成立するのではないかと思います。でなければ、その国が無くなった、あるいは政権が交代する毎に約束が違われるのであれば、国と国は条約も結べない関係になると思います。

 そして、今日の『株式会社 産経デジタル』の記事のように、「請求する相手違う」とする韓国人L氏の主張は、正しいと思うのですが。

 日本の歴史認識は、確かに隠されている事もあると思うのですが、少なくとも外国から歴史認識云々と言われないために、しっかりと身近な歴史くらいは、真実を残してもらいたいと思います。 

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百十五段 〔原文〕

 宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集りて、九品の念佛を申しけるに、外より入りくるぼろぼろの、「もしこの中に、いろをし坊と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候。かく宣ふはぞ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師、なにがしと申しし人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事はべりき。こゝにて對面したてまつらば、道場をけがし侍るべし。前の河原へ参り合はん。あなかしこ。わきざしたち、いづ方をも見つぎ給ふな。數多のわづらひにならば、佛事のさまたげに侍るべし」と言ひ定めて、二人河原に出であひて、心ゆくばかりに貫きあひて、共に死にけり。

 ぼろぼろといふものは、昔はなかりけるにや。近き世に、梵論字ぼろんじ・梵字・漢字などいひける者、そのはじめなりけるとかや。世を捨てたるに似て、我執ふかく、佛道を願ふに似て、闘諍とうじゃうを事とす。放逸無慚のありさまなれども、死を輕くして、少しもなづまざる方のいさぎよく覺えて、人の語りしまゝに書きつけ侍るなり。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『宿河原という所で、ぼろぼろが大勢集まって、九品の念仏を唱えていたら、よそからやって来たぼろぼろが、「もしかしてこの中に、いろをし坊と言うぼろはいますか」と尋ねたら、中の一人が「いろをし、はここにいますが、彼方は誰だ」と答えれば、「しら梵字と言います。私の師で何とかと言う人が、東国で、いろをしと言うぼろに殺されたと聞いて、その人に怨みを晴らしたいと尋ねています」と言うと、いろほしが、「見上げた心構え、よく尋ねられた。確かにそんな事がありました。ここで果し合いをすれば、道場を汚してしまうので、前の河原に出ましょう。恐れ入りますが、間違っても、どちらにも加勢しないように。幾多の禍になれば、仏事の妨げになります。」と皆を抑えて、二人で河原で戦い、二人とも死んでしまった。

 ぼろぼろと言うのは、昔は無かったのか。近年梵論字ぼろんじ・梵字・漢字などと言われていた人たちが起源であると言っている。世を捨てたようであるが、我が深く、仏道を修行するのに似て、一心に闘争を主としている。放逸無慚の様相を呈しているが、死というものを軽く考え、生死に拘らない事が潔く思えて、人が話している事をそのまま書き記した。』

 

 

『為体』

 人の話を聞いて、書き記したとされていますので、師でもある人を、なんとかいう、と言った部分は、聞いた話だから仕方がないと思いますが、ぼろぼろと言う集団がいた事は事実なのでしょう。

 ぼろ【梵論・暮露】とは、「普化ふけ宗(=禅宗の一派)の乞食僧こつじきそう剃髪ていはつせず、帯刀し、物乞ものごいをしながら諸国を行脚あんぎやした。後に「虚無僧こむそう」となった。梵論梵論ぼろぼろ梵論字ぼろんじ。」(出典:学研全訳古語辞典 学研.)

 なるほど、虚無僧なら、子供の頃に町を歩いていました。父親から犯罪者がなっていると言われていましたので、怖い存在でした。

 それにしても、ぼろぼろでなくても、鎌倉時代の末期と言うのは、想像ですが時代の転換期ですから、殺伐とした時代であったろうと思います。

 僧侶にしても、すでに平安時代の末期から興福寺・延暦寺・園城寺(三井寺)、東大寺などでも僧兵が強化されて武装が当たり前の時代ですから、この話は、特段珍しいものではなかったのではないかと思います。

 しかし、兼好法師が特に書き記したのには、『いさぎよく覺えて』と言う部分にあると思います。この潔さは、兼好法師の言う、『死を輕くして』というのに相応しいのでしょうか、蛮勇ではないかとも思うのですが。

 私はこの文章を読んで『為体ていたらく』と言う文字を書きました。それは、『放逸無慚のありさま』から想像したものです。

 放逸ほういつとは、「(1) 節度をわきまえず、勝手気ままに振る舞うこと。生活態度がだらしがないこと。また、そのさま。 (2)情容赦もないこと。乱暴なこと。」(出典:大辞林第三版 三省堂.)

 また、無慚むざんの意味は、「 (1)〘仏〙 戒律を破りながら心に恥じない・こと(さま)。 (2) (仕打ちが)残酷なこと。乱暴なこと。また、そのさま。  (3) 気の毒なこと。いたましいこと。また、そのさま。」(出典:大辞林第三版 三省堂.)

 この様子を私は『為体ていたらく』と思ったのです。しかも、それが乞食坊主と言えども、少なくとも仏道に惹かれた経緯があったと思います。にも拘らず、やりたい放題でしかも乱暴者の集団ですから、世も末と言う意味で『為体ていたらく』の文字が浮かんだのです。

 ですから、遁世や出家と同列に並べるのは如何なものでしょう。死を軽く見るのも、潔さも、物の道理を極めて得た心境ではなく、単にどうなっても良いという、投げやりな気持ちのように思います。また、人をそんな思いにさせる時代であったと思います。

 兼好法師が好感をもったような書き方をしていますが、私はこれを許すわけには行かないと思っています。

 現在でも、鬼畜と言われても仕方のないような事件が勃発します。これを潔いと言うならば、世の中自体が『為体ていたらく』だと思います。