文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【112】

 今日の文字は『』です。遊戯ゆうぎです。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百十一段』を読んで見て、感じた文字です。

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★『ドコモたちまち値下げ発表。菅官房長官が明かした携帯大手3社の「不都合な真実」』
(「文藝春秋」編集部 2018/11/10 07:00)

おそらく今、この記事に辿り着いた人の多くは、スマホからアクセスしているのではないだろうか。

 今年5月に総務省が発表した統計によると、2017年、個人がインターネットを利用する機器はスマホが54・2%と初めてパソコン(48・7%)を追い抜いた。ニュースもゲームもSNSも何でもかんでもスマホで見る時代である。この“スマホ偏重”の流れは、今後どんどん加速していくことは間違いない。そして、これに伴って携帯の通信費はうなぎのぼりに上がり続けており、家計を圧迫している。

 そんな中、一歩踏み込んだ発言をしたのが、菅義偉・内閣官房長官(69)だ。8月、北海道で行われた講演会で、次のように述べたのだ。

「大手の携帯電話(通信)料金は、今よりも4割程度下げる余地があると思っています」——後略——

 いえいえ、私はコンピュータからこの記事を見ています。まだガラケイで頑張っている一人です。というか、スマホの必要性を感じていません。

 この記事の——後略——の部分ですが、「政府が民間の料金に口出しするのはおかしいのではないか」との記載も見られますが、日本は、随分前から、資本主義と社会主義を時によって使い分けしている国です。

 最近はアメリカもその傾向にあると、何かで観ました。

 まぁ、暮らしやすければ、資本主義であろうと、社会主義であろうと構いません。ただ、共産主義に近すぎると、一部の人達に国が牛耳られるように感じています。これはあくまでも個人的な見解です。

 私は資本主義は崩壊しつつあると考えています。もう40年近く前になりますが、資本主義は何らかの方法で軌道修正しなければ、良くない社会になってしまうと思った事がありました。

 自由主義である限りは、自浄作用が出てくると思います。

 4人家族が全てスマホを持っている事も考えられます。昔はエンゲル係数と言いましたが、今では、スマホも入れないと、随分家計を圧迫しているのではないかと、危惧します。エンゲル係数は下がって生活は楽になっているはずが、反って困窮する家庭もあるのではないでしょうか。

 ちなみに、エンゲル係数の求め方を書いて置きます。

 「エンゲル係数(%)=食料費÷消費支出×100」

 このエンゲル係数が高い、すなわち、1つの家庭で全ての消費額に占める食費が多い場合は、生活が楽ではないとする、ドイツの社会学者の論文から「エンゲルの法則」と言われています。時代遅れかも知れませんが、何かの指標にはなると思います。気になる人は、一度計算してみては、如何ですか。

 ちなみに、日本の平均は、22%から25%で推移しています。さて、あなたの家庭はどの程度? 

 もし、25%以上でも驚く事はありません。現在の社会情勢では、外食する人、いわゆる贅沢できる人が、この数字を伸ばしています。

 ドイツの社会統計学者、エルンスト・エンゲルも困惑しているかも知れません。 

 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百十一段 〔原文〕

 「囲碁・雙六 好みてあかし暮す人は、四重・五逆にもまされる惡事とぞ思ふ」とある聖の申ししこと、耳に止まりて、いみじく覚え侍る。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『  「囲碁や双六を好んで四六時中やっている人は、四重(殺生・偸盗ちゅうとう邪淫じゃいん・妄語)の罪や五逆(※)の罪状を越える悪事をしているのだと思うのだ」とある聖人が言われたことが、耳に残り、すばらしいことだと感じられる。』
【参照】
五逆 :
上座部仏教(小乗仏教)では、殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧(教団を乱すこと)・出仏身血(仏身を傷つけること)の事を言う。
大乗仏教では、仏塔を壊し、経典を焼き、三宝を盗むこと。仏教の教えを謗ること。出家者の修行を妨げること。小乗の五逆のいずれかを犯すこと。業報を無視し十悪の罪を犯すこと。
(参考資料:通信用語の基礎知識[https://www.wdic.org/w/CUL/五逆])

 

 

『戯』

 この場合は、遊戯とは、言い難いですが、現在でも一日中部屋に閉じこもって、ゲームをやっている人達がいると言うのですから、その人達の事を言えば良いのでしょうか。

 それとも、ギャンブル依存症についての事でしょうか。

 ただ、囲碁と言われると、囲碁の業界や将棋の業界の人達には、快く受け入れられる言葉ではないと思います。この時代では、遊びや賭け事も種類が少なかったので、一概に言う事も出来ないとは思います。

 囲碁ほどには古くは無いかも知れませんが、平安時代には将棋の原型もあったとの記述も見られます。(参考文献『二中歴』13巻から(国立国会図書館所蔵))

 『あかし暮す人』と言いますから、一時もその事から頭が離れないと言う事だと思いますが、何かを習得しようとすると、そんな期間が必要な事もあります。

 この場合は、言っている人が聖人すなわち、高僧の事ですから、当然一日中仏道を極めんと頭から、修行の事が頭を離れないのでしょう。

 こういう人から見ると、囲碁であれ双六であれ、夢中になるものではないと、一刀両断する気持ちも分かります。

 確かに煩悩具足と言われるように、人間は愚かな生物である事は、納得できるような人生を送ってきました。

 そして、幾つも種類は雑多ですが、夢中になる事は多かったと思います。ですから、この聖から見るとまるで犯罪者を越える犯罪を犯したと言われてしまうのでしょう。

 双六がでてきましたので、関連する事と言えば、サイコロに夢中になった事もあります。
 
  多分小林旭さんの映画を観ての事だと思いますが、サイコロを壺(ダイスカップ)に入れて、振るのですが、止めると四つのサイコロが塔のように重なっていると言うものです。

 これも夢中になって練習し、机の上に縦に並べて置いてあるサイコロを、ダイスカップを振りながら一つづつ、ダイスカップの中に掬い入れ、机の上にサイコロを立てられるようになりました。

 トランプの奇術も夢中になった事があります。中学生の頃は、学生服にいつも3組のトランプを入れていました。

 高校生の修学旅行の時に、得意になって仲間に披露していた時に、担任の教師から嫌味を言われて、それからは、人の前ではあまりやらなくなりました。これもはまり込んだ一つです。

 なんでも、やり始めると視野が狭くなるのか、没頭してしまいます。大学の頃は、一時ギターに夢中になった事もあります。その当時の流行だったのでしょう。

 ただ天邪鬼あまのじゃくの性格なのか、その当時はフォークソングが主流でしたが、私は、映画音楽に惹かれて、「禁じられた遊び」別名「愛のロマンス」や、「夜霧のしのび逢い」他幾つかの曲を弾けるようになっていましたが、今覚えているのは、かろうじて「禁じられた遊び」だけです。

 最近違う曲を覚えようとしたのですが、今度は頭がついていきません。老化の一途を辿っているのか、それとも惹かれる度合いが少ないのか・・・・。

 器械体操にも夢中になった時期があります。アメリカの南カリフォルニア大学に夏季留学した時に、オリンピックの金メダリスト、小野喬さんと一緒だったのですが、その場にいる人に、小野喬さんと判って、公園で急遽体操の床運動をみせる事になったのです。

 その時、小野さんに一人では寂しいから私も一緒にと誘われ、大胆にも私も床運動をしてしまいました。

 終わってから、小野さんに、流石に空手をしている人は跳躍力が違う。と褒められたのですが、内心「いやいや、器械体操」と思ったのですが、返答に困りました。

 ちなみに、この小野さんは、1956年(メルボルン)、1960年(ローマ)のオリンピックで、鉄棒で金メダルを取った人です。その他金3、銀4、銅4と計13個のメダルを取った有名人、当時は鉄棒の小野と異名を取るほどの人です。

 そんな機会が私の人生にあった事は、不思議な縁だと思います。残念ながら、その時懇意にしていた、奥さんの小野清子元参議院議員と20年程前に再開する機会があったのですが、清子さんはすっかり私の事は失念されていました。ちょっと寂しく思いましたが、私の立場を考えると、さもありなん、でしょう。

 直ぐに夢中になってしまう癖があるようです。それもやり始めると、結構長く続けていますが、それでも一流と呼べるものはありません。

 しかし、一流に成れないのは、その「分」がないからだと、「分不相応」な事は望んではいません。

 そんな夢中になった事に、罪悪感など微塵もありませんし、逆にある程度になれた事を幸せに感じているくらいです。

 私は、この聖人と呼ばれる人は、仏道がなによりのものなのでしょう。しかし、自分がそうだからと、人を罪人扱すると言うのもどうかと思います。

 もちろん、この『囲碁や双六を好んで四六時中やっている人』が身を持ち崩したり、大罪を犯すような振る舞いがあったとしたら、一言もありませんが・・・・。

 少なくとも、『やり過ぎは身体も心も疲弊します』位に留めた方が、相手に響くと思います。