今日の文字は『勝負しょうぶ 』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百十段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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勝負
☆音痴。なってみた、感想。歯がゆい。会社を止めてから声が出なくなった時期がありました。
で、耳鼻咽喉科に行くと、即座に言われました。流行ってるらしい。団塊の世代の人が定年を迎え、人との会話が無くなり声帯が委縮するという。胃カメラならぬ喉カメラで声帯を見せてもらうと、くっついているはずの声帯が離れています。とうぜん声がこの声帯によって出ている事は、誰でも知っています。
それから、話さないと、と思っているのですが、相手がいない。猫と話をしても、会話が弾まない。そこで、風呂に入った時に歌を歌うようにしましたが、これも気が向かないと、歌いません。
五年も経ってから遅すぎるかも知れませんが、インターネットでカラオケのページを見つけました。
まぁ、なんと、音痴。音が音楽に合いません。音域が極端にありません。一時民謡を本格的に習っていたので、普通よりも音域は広くなっていましたが、まったくその名残もなくなりました。
何のために始めたかと言いますと、認知症予防です。楽器が良いらしいです。
歌を歌いながら手拍子を同時にすると、前頭葉を活性化してくれる事が判明し、認知症予防に効果があると学会でAランクに初めて認定されたと、テレビで観て、これは、歌よりもボケ防止。と言う事で、始める事にしました。
それにしても、残念無念、音痴は治るのでしょうか。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第百十段 〔原文〕
雙六すぐろく の上手といひし人に、その術てだて を問ひ侍りしかば、「勝たんとうつべからず、負けじとうつべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりとも遲く負くべき手につくべし」といふ。
道を知れる教、身を修め、國を保たむ道も、またしかなり。
『現代文』
まず、我流で現代文にしてみましょう。
『すごろくが上手と言う人に、その方法を尋ねたところ、「勝とうと思って打ってはいけない、負けないと思って打つ必要がある。どの手が早く負けるのか考え、その手は避けて一目でも遅く負けるような手を選ぶ」と言う。
道を知る者の教え、身を修め、国の治める道も同じである。』
『勝負』
『勝つ考は持つな負けぬ考は必要』 この言葉は、松濤館流創始者、船越義珍師が遺された、松濤二十訓の十二条目にあります。
ちなみに、全条は以下の通りです。
空手道は礼に始まり礼に終る事を忘るな
空手に先手なし
空手は義の補たす け
先づ自己を知れ而して他を知れ
技術より心術
心は放はな たん事を要す
禍わざわい は懈怠けたい に生ず
道場のみの空手と思ふな
空手の修業は一生である
凡ゆるものを空手化せよ其処に妙味あり
空手は湯の如し絶えず熱度を与えざれば元の水に還る
勝つ考は持つな負けぬ考は必要
敵に因って轉化せよ
戦は虚実の操縦如何に在り
人の手足を剣と思へ
男子門を出づれば百万の敵あり
構は初心者に後は自然体
形は正しく実戦は別物
力の強弱体の伸縮技の緩急を忘るな
常に思念工夫せよ
これは、双六とは違いますから、その方法については、違いがあると思います。
この双六と言うのは、現在の双六とは全くと言っていいほど違う遊びのようです。平安時代には、賭博性が強く何度も禁止されたと言われているほど、熱中した人がいたのでしょう。
残念ながら平安時代に流行ったと言われている、当時の双六の遊び方についての文献を探す事は出来ませんでした。
ただ、平安時代だけではなく、『日本書紀』 の中にも、双六禁止の文言を見る事も出来ますし、『枕草子』や『源氏物語』にも登場します。
それほど、人が夢中になるような遊びがあったのですね。しかも、その遊びの名人となれば、勝つ方法を聞きたい人は、こぞってその神髄を教えてもらいたかったと思います。
ただ、この方法は、空手の場合には通用しません。船越義珍師が言われている『勝つ考は持つな負けぬ考は必要』 と言う事とは、意味合いが違います。
双六の場合は、ルールは解りませんが、この文章では、一手でも遅くなると勝てるようですから、先に投了した方が負け、という事だと思います。
空手の場合は、競技空手とは違い、一撃必倒、一撃で相手を倒す事を主眼に置いています。この松濤二十訓の十五条に『人の手足を剣と思へ』 とありますように、相手の拳足が自分に当たれば、それが負けになります。
ですから、空手の場合は、何度も攻撃を受ける事が出来ないのです。剣道でも防具を付けて竹刀で戦うのと、たとえ木刀であっても、一撃で相手を倒す事ができます。まして、刀となると、想像は難くありません。
空手の場合は、『勝つ考は持つな負けぬ考は必要』 と言うのは、あくまでも精神的な心得として、一撃で相手を倒す機会を待つために、勝ちを急がない、絶対的な勝利を得るために、相手の誘いに乗ったり、捨て身の技は、最終的な手段である事を知る事です。
双六の場合も、負ける手は避けて、と言うのは、空手と同じですが、最終的に勝てれば、途中もし負ける事があっても、次はその負けたような手は打たない事ができるように考える事ができるように思います。
私の説明もルールが解らない事を、解ったような書き方になってしまっていますが、よく解らないルールですが、何度かサイコロを振る機会があって、最後に勝つようなものだと理解した結果です。
空手では、一回勝負。ですから私は、戦う事をさける武道であると、言い続けています。
ただ、この文章の最後に書かれてある『道を知れる教、身を修め、國を保たむ道も、またしかなり』 と言う言葉には納得しています。
試行錯誤しながら、修行は行われます。そして、国を治める事も日進月歩と言わざるを得ません。
であれば、今日より明日、明日より明後日と、最終的に勝つ、すなわち良い結果、目的を達成すれば良いのではないでしょうか。
私が戦わないと言っているのは、あくまでも空手を使って相手を殺傷するような戦いをしないための、戒めです。
ですから、自分や相手が、向上する為に競い合う事を、否定するものではありません。
ただ、気を付けたいのは、競争はどうしても勝ち負けに拘ってしまう事が、延長線上にある事を忘れないようにしないと、主客が逆転してしまい、向上の為では無く、勝つためなら手段を選ばなくなるのが、人間の習性である事も、忘れてはならないと思います。
勝とうとする習性があるのですが、矛盾しているのが人間です。それを理性で抑制する事もできるのが、また人間だと言えます。
『日本書紀』にも、双六の禁止が見られるように、人間の欲は、放っておくと、限りなくのめり込んでしまうのでしょう。
ちなみに、日本書紀卷第三十、高天原廣野姬天皇 持統天皇(686-697年)の一部に禁斷雙六 の文言が見られます。これは、双六を禁止する、という事です。
『九月庚辰朔己丑、遣直廣參石上朝臣麻呂・直廣肆石川朝臣蟲名等於筑紫給送位記、且監新城。冬十月庚戌朔庚申、天皇幸高安城。辛未、直廣肆下毛野朝臣子麻呂奏欲免奴婢陸佰口、奏可。十一月己卯朔丙戌、於中市、褒美追廣貳高田首石成之閑於三兵、賜物。十二月己酉朔丙辰、禁斷雙六 。』
(出典:http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_30.html)