文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【102】

 今日の文字は『機転きてん』です。意味は、本文を読めばよく分かると思います。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百一段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 機転

 
★『日本政府、対韓国「戦略的放置」強める 徴用工判決、国際司法裁判所への提訴も視野』
(株式会社 産経デジタル 2018/10/30 19:33)
 「元徴用工をめぐる韓国での民事訴訟で新日鉄住金に損害賠償を命じる判決が確定し、日本政府内に韓国への忌避感が募っている。判決は、韓国が国際協定を守れない前近代国家だと自ら宣言しているに等しいからだ。政府は北朝鮮問題に関して韓国との連携は維持するが、本音では韓国を相手にしない「戦略的放置」(政府高官)を強める考えだ。(原川貴郎)」

 韓国は、どういう未来を望んでいるのでしょう。どうもよく分かりません。確かに、星 浩ほしひろしさん<ニュースキャスター>が三権分立を説明して、お茶を濁すような説明をしていましたが、三権分立と言うのは、国内の権力を分離する事がその役割ではないのかと、疑問に感じました。

 このような、国と国との約束を反故にするような事に判決を下すべきではないし、またその権利もないと思うのですが、北朝鮮も同じように、国と国との約束を平気で覆した歴史を歩んでいます。

 あまり考えたくはありませんが、韓国と北朝鮮が一つになって、核保有国になろうとしているような気がします。

 この考え方も少し国際社会の未来の展望とは、矛先が違うような気がします。

 しかし、国と国との問題だけではなく、昨日見ていた、関西テレビ「僕らは奇跡でできている」の中で、榮倉奈々さんの歯医者さんと、トリンドル玲奈さん演じる歯科衛生士の会話を聞いていて、まったく歯車があっていない様子がありました。現在の若者と、少し年代が上、と言っても10歳も離れていない人の常識の差が如実に描かれていたように思います。

 見ていて、榮倉奈々さんがイライラする気持ちと、同じような気持ちになりました。

 国と国との付き合いも、余りにも、常識が違うと、そんな感じになるのでしょう。困ったものです。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百一段 〔原文〕

 ある人、任大臣の節會せちえ内辨ないべんを勤められけるに、内記のもちたる宣命を取らずして、堂上せられにけり。きはまりなき失禮しちらいなれども、立ち帰り取るべきにもあらず、思ひ煩はれけるに、六位の外記げき康綱、衣被きぬかづの女房をかたらひて、かの宣命をもたせて、忍びやかに奉らせけり。いみじかりけり。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『ある人が、大臣を任命する重要な公事の諸事を司る役目を勤められたとき、詔勅や宣命を起草し、記録をつかさどる職の者が持っている、宣命(天皇の公的発言を書いた物)を受け取らずに、正殿に上がられた。

 限りない失態ではあるが、取りに帰る分けにも行かず、思案していると、六位の外記げき康綱が衣被きぬかづの女官に話して、宣命を持たせてこっそり渡した。
 すばらしい心遣いである。』

 

 

『機転』

 こういう機転の利いた、心遣いの出来る人は、きっと出世されたと思います。そうでなければ、よほど以後に失態があったのでしょう。

 外記げき康綱(中原康綱)と言う人は、今で言う官僚で、事務次官まで上り詰めた人ですから、最高の地位を得たのでしょう。何もその後に失態が無かったと思えます。

 今はやり、いや、ちょっと前になりますが、忖度そんたくも、何だか悪い意味が定着してしまった感がありますが、仕事では忖度そんたく出来ない人は、出世する事が出来ないと思っています。

 「他人の気持ちをおしはかること。推察。」と大辞林第三版では、その意味を見る事ができます。ようするに、心遣いができる事を、忖度と言います。

 この機転が利く事と、仕事にはどんな関係があるか、私の経験と照らし合わして見ましょう。

 機転と言うのは、咄嗟の思いつきですが、この咄嗟の思いつきが、相手に役立って、感謝されないと、機転にはなりません。

 この咄嗟の思いつきは、日ごろから心がけていないと、急に出るものではありません。もしでるとしても、思いつきに思われて、逆に軽薄に感じられてしまいます。

 要するに、アイデアと同じで、相手を動かせるような、中身が充実していないと、自分のひとりよがりになってしまいます。

 まず、必要な事は、状況を把握している事が大切だと思います。でなければ、小さな親切大きなお節介、もっと言えば、余計なお世話です。

 良いと思って、機転を利かせたつもりが、相手の逆鱗に触れる事も、ままあることです。

 私も、何度か、すんでの所で、こんな間違いをしてしまいそうになったこともあります。これは一重に状況把握、相手の気持ちを推し測っていないからくる、勇み足です。

 「忖度」に似た言葉で、「おもんぱかる」と言う言葉がありますが、たとえば「忖度」をするにも、程度があるのです。ただ単に、他人の気持ちをおしはかっても、これは自分の思い違いかも知れません。ですから、この推測の域を深める事が必要になります。それが「おもんぱかる」と言う事です。簡単に言えば、熟慮すると言う事です。

 もちろん、推測しようが、熟慮しようが、相手の気持ちが解るわけではありません。それでも、相手の身になって考える事で、少し相手の気持ちに近づく事ができたり、相手の気持ちに寄り添えるのではないでしょうか。

 いちばん手におえないのが、自分本位、自己中と呼ばれているような考えで、相手の身になってるつもり、と言うのが一番まずい結果になります。

 当然と言えば、当然の結果です。そこには、「忖度そんたく」も、「おもんぱかる」も、どこかに消えています。

 もっと悪いのは、ひとりよがりで機転を利かせたつもりになって、相手に感謝してもらえないからと言って、逆恨みする人がいます。

 こういう人、不幸だと思います。多分こういう人は、「してやったのに」とか思う人でしょう。自分の思いや行動は、相手に届いてこそ意味があるのに、届いたつもりでいるのは間違いの元だと思います。

 こうやって文章にすると、「ないない」と、思いがちですが、結構この間違いは起こりやすいのです。そして、逆に相手の事を、気付きの無い人と思ってしまうのです。

 機転の利く行動ができれば、営業マンなら成果も上がりますし、事務職なら評価も高くなります。もしガテン系なら、仕事の出来る人と思われます。

 当然の事のように、出世していくと思います。これで出世できない人は、少し視点を変えて見てください。本当に相手をおもんぱかって、忖度そんたくが出来ているのでしょうか。自分本位になっていませんか。

 もう一つ、機転の利く行動は、一度や二度で気付かれるものではありません。 ふっと、気付いてくれる時があるものです。

 意外と、そういう機転の利く人は、気になるものです。世の中には、そういう気の利いた人が少ないですから。

 別に出世なんかしたくない、と言う人でも、人からの評価が良い方が、人生を謳歌しやすくなると思います。特別な才能がなくても、ちょっとした気遣いが出来るようになると、人生が豊かになります。

 機転が利く人になるために、特殊な技能は必要ないと思っています。ただ、自分本位、自己中を止めれば良いと思います。

 私は、出世したとは思いませんが、会社ではそれなりの地位には、引き立ててもらいました。

 行き届いたことが出来たとは思いませんが、それでも、私が気を付けたのは、常に人が喜ぶことを結果として残す事だったと思います。

 自分のためだと、まぁ、いいか、と、後回しにしたり、結局やらない人でも、人の為なら、喜んでくれるなら、とやる気になると思いませんか。私は、そんなタイプの生き方をしたような気がします。