文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【101】

 今日の文字は『もく』です。木工製品の木です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 
 ついに、半切(34.5cm×136cm)の紙が無くなりました。今日の夕方届くと思います。一枚仕上げるのに何枚書く気、と自問自答しています。

 ポジティブシンキング、良いのが出来ないと言う事は、目が肥えてきたのかも、と自分をなだめています。

 お習字は、難しい。書く文字の種類、文字数、紙のサイズによって、筆を選ばないと書けない事に、今更ながら気付いたところです。

 今朝も、朝体操を1時間半ほどしてから、お習字をしましたが、まだ完成には至っていません。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百段 〔原文〕

 久我の相國は、殿上にて水を召しけるに、主殿司とのもづかさ土器かわらけたてまつりければ、「まがりを參らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『久我の相国は、宮中で水を召し上がる時、女官が土器の器を出したところ、「まがりに入れてさしあげなさい」と言って、まがりで召しあがった。』

 

 

『木』

 この段は、木製の椀と解釈しているもの以外を、見つける事はできませんでした。

 私は、文字は「木」と書きましたが、「まがり」を学研全訳古語辞典では、まがりと言う漢字を書いてありました。

 『わん』は、器の事を言いますが、木製の場合は「椀」、磁器の場合は、「碗」、そして、金属の場合はと書くそうです。
(出典 :フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 詳細は分かりませんが、金属の器を持ってこさせたのかも知れません。であれば、私が「木」の文字を選んだことは、早とちりであったと思います。

 当時の仕来りがここでは不明ですが、相国と言いますから、太政大臣である、久我通光の事です。 その役職から水を飲む器にも権威を表すものがあったのかも知れません。

 今でも、大臣の椅子や、社長の椅子は、一般の物とは違う革製の物や、時代にあった上等の物を用意します。

 現在は料金により差別化を図っていますが、乗り物で言えば、グリーン車みたいなもの、あるいは、ホテルなどのスイートルームなどが思い浮かびます。

 また、絨毯じゅうたんなども、格差をつける時に使います。

 レストランでも、個室が用意されていたり、特別室や貴賓室なども、一般と格差をつけるものでしょう。

 格差社会云々と言う割には、世の中は特別と言うのに弱いですね。

 劇場でも、特別席があり、野球場ではネット裏、大相撲でも砂被りと呼ばれる土俵際の見物席、それぞれ特別の席が用意されています。もちろん、値も張ります。

 ここで言う器も、老舗と言われる高級料理店で食べると、一食5万円の料理を入れてある器は、その10倍する物もざらにあります。

 これは、日本だけの習慣ではなく、世界に見られる風習と言えるでしょう。

 権威を表すために、あえて、女官に器を変えさせると言うのは、個人的にはどうかと思うのです。
 
 もし、仮に私が女官であった場合、こんな禿げた老人の女官を想像しないように、仮にですよ。これは、私の不注意で行き届かない仕事で、恥じるべきだと思います。

 良い悪いは別にして、『郷に入っては郷に従え』と言うのは、社会生活の中ではとても重要な事です。

 『悪法もまた法なり』とソクラテスが言ったかどうかは、定かではありませんが、混同してはいけないのは、『長い物には巻かれよ』と同じ意味に捉えてはいけないと思っています。

 私の職歴は何度も書いていますが、職を転々としましたので、その度に、自分の常識とは違う考え、風土に馴染むまでに、少なくとも3ヵ月はかかりました。

 意外と馴れると、自分が「これは違うだろう」と思っていた事でも、理解し、納得する事ができるようになるものです。もちろん、その事が理解できるまでに、相当の年月を要しました。

 朝廷と言っても組織である事には変わりがありません。ですから、今で言えば、各種の団体や会社、あるいは、役所など、人が集まり一定の風土、風習、仕来り、そしてルールの下で、その組織の目的の為に知恵を絞り、汗を流すようになっています。

 そこには、短くても長くても歴史があります。その歴史の中で試行錯誤しながら出来た風土や仕来り、あるいは規律は、守るために出来たのです。

 よく、改革改革と、言う言葉を耳にします。本当に改革なのでしょうか。改革と言うのは、 現状をただ闇雲に変える事ではないと思います。そして、自分の意に反するからと言って、改革するものではありません

 また、時代にあっていないからと言って、如何にも旧態依然としていると考えるのも、私は違うと思います。昔のままで良い物もあり、昔のままでは立ち行かなくなる場合もあります。

 改革するためには、本当に改革する必要があるのか、それとも少し修正が必要なのか、原点をもう一度見直して見る事が必要ではないでしょうか。

 要するに、人間や環境を無視した改革は、改革をしても失敗に終わってしまうと思います。

 私は、松濤館流と言う空手道を主宰しています。そして、このブログに船越義珍師と言う松濤館流の創始者が、初めて松濤館流の原点とも言える書籍を出された物を、頑なに守ろうとして、掲載しました。

 なぜ、松濤館流の原点としたのか、それは、一番初めの書籍は、まだ船越義珍師が沖縄空手の首里手と言われる、一般的な方法によるものであったと、推測したからです。

 船越義珍師、自らが流儀を、名乗られた事はありませんが、一般的に船越義珍師の松濤館流の原点は、二番目に執筆し、出版された、空手道教範にあると思っています。

 この本に記載されている内容に不備があったり、変更改革する、根拠がある場合は、変えても良いと思います。しかし、根拠もなく変えるのであれば、松濤館流と言う流儀を離れるべきでしょう。これも「守破離」と言われる、一つの修行の段階ですから。

 空手道と言われるもので、あっても一つの形、技を変えるにも相当の修行と、造詣が深くなければなりません。

 まして、朝廷の仕来りを、知らないからと言って、根拠もなく変えるのは、あってはならない事だと思います。

 この段を、単なる権威をひけらかす行動と捉えるか、それとも、そこで働く人たちに苦言を呈するために、あえて自分の品位を落して行動したのか、それは、解りません。

 人が出来る事の一つに、足跡そくせきを残すと言う事があると思います。動物は足跡あしあと残しますが、人は歴史を刻む事ができます。

 その先人が遺した歴史を、ないがしろにはしない方が良いと思います。智恵が詰まっているのかも知れません。