文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【91】

 今日の文字は『あたま』です。「頭隠して尻隠さず」の頭です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第九十段』を読んで見て、感じた文字です。

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★『女流ホープ、前王位が禁じ手 将棋界29年ぶり4度目の2日連続反則負け』(スポーツ報知/報知新聞社 2018/10/20 06:01)

 「将棋の第30期女流王位戦予選2回戦の武富礼衣女流初段(19)対石本さくら女流初段(19)戦が19日、大阪市福島区の関西将棋会館で行われ、武富女流初段が禁じ手の「二歩」を指し、反則負けした。18日には同所で行われた順位戦B級1組の対局で前王位の菅井竜也七段(26)が角を相手の駒を飛び越した升目まで移動させて反則負け。反則が2日連続で起きる超異例の事態となった。」
 
 将棋は初段と言っても、素人初段とプロの初段では、雲泥の差があると聞きます。「二歩」と言うのは、私でも反則と知っていました。

 余程、没頭しないと、指せない「二歩」ですね。余程緊張していたのか、没頭していたのか、それとも、ボーとしていたのか・・・・。

★沢田研二さんの、さいたまスーパーアリーナ公演中止で、マスコミやコメンテーターは、擁護の言葉が多かったですね。

 中には、アーティストは、わがままで良いんですよ。と言っていた人がいました。沢田研二さんがアーティストかどうかは、解りませんが、私と同年代の人がとった行動としては、ちょっと、常識はずれの行動だと思います。

 彼が、会見で「僕にも意地があります」とニュースには書かれてありましたが、意地を通せる環境にある事を忘れない事でしょうね。中には、意地を通せず、我慢をしている人達の多い世の中です。

 こんな意地を通せる人は、生活に余裕があるからできると言う事、そして、その余裕は、今まで支えてくれた、ファンとテレビ局やマスコミが作ってくれたことを感謝していれば、勝手な行動は、意地ではなく、経済力を盾に、わがままを通しているだけに見えます。

 今日もまた、愚痴を言ってしまいました。やっぱり歳ですかね。

 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第九十段 〔原文〕

 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸おとづるまる、やすら殿といふ者を知りて、常にゆき通ひしに、ある時出でて歸り來たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがりまかりて候」と言ふ。「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖かき合せて、「いかゞ候ふらん。頭をば見候はず」と答へ申しき。

 などか、頭ばかりの見えざりけん。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『大納言法印の召使をしていた乙鶴丸おとづるまるが、やすら殿という人と知り合いになって、よく通っていた。

 あるとき、乙鶴丸が帰宅したところ、法印が「どこへ行っていたのだ」と問うと「やすら殿の下に出向いていました」と言う。「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問われたので、たもとを重ね直して「どう言えばよいのか。頭を、見ていません。」と返答した。
  
 なぜ、頭だけ見えないのか。』

 

 

『頭』

 笑い話に取れない事もない話が続いているので、この話も、笑い話にしても良いのかも知れません。

 私は、この話を微笑ましい話と捉えました。そこで、乙鶴丸おとづるまるの気持ちになって、話しを作りました。

 【大納言法印の召使をしていた乙鶴丸おとづるまるが、やすらと言う女性と恋仲になったので、主人の目を盗んで、よく逢いに行っていた。

 そんなある日、乙鶴丸おとづるまるがそっと帰って来たのを待っていて、主人が、「いつもいつも、こそこそ隠れてどこに行っていたのだ」と、詰問した。

 すると、言いにくそうに、「やすら殿の所です」と、答えた。

 この返答に納得せず、「そのやすら殿と言うのは、男性なのか、それとも法師なのか」と、重ねて聞くと、気まずそうに「いや、頭をみていなので、僧侶かどうかは・・・・」とまた口を濁しました。

 どうして、会っているのに、頭を見ないと言うのも不思議な話だ。
 もしかして、市女笠いちめがさ被衣かづきでも被っていて確認できなかったのか。】

 乙鶴丸おとづるまるに恋人が出来て、忍んで逢いに行っているのを、咎められている様子を想像しました。しかし、堂々と言うのもはばかられるので、このような返答になったのかも知れません。

 ちなみに、市女笠いちめがさと言うのは、平安時代や鎌倉時代に、高貴な女性が被る笠の事で、中央が高くなった形の笠です。その笠のまわりにカーテンのように薄い布が垂れていて、虫よけにもなったそうです。

 また、被衣かづきと言うのは、頭から被る事ができる専用の着物の事です。よく平安時代や鎌倉時代の時代劇には見られる女性の姿です。

 今の時代とは違い、男女の関係は公明正大に言う事では、無かったかも知れません。

 ただ、私は、若い人が恋しい女性のもとに、足しげく通う様子が目に浮かんだのですが、この段は殆どの人が違う読み方をしているようです。

 当時は、僧侶が、稚児ちごと呼ばれる剃髪しない少年修行僧を相手に、女性の替わりをさせていたという事もあったとされています。

 場合によっては、男性でありながら、化粧もし、女装して僧侶の相手をしていたと言われています。

 そうなると、話しは全く違う話になってしまいます。

 今社会的な問題としてクローズアップされる事もある、LGBTと呼ばれるセクシャルマイノリティの中の、男性同性愛者の事だと思いますが、私は個人的には、男性が女性に興味を持つ方が理解できます。

 確かに生まれついて、男性が男性に、女性が女性に、あるいは、どちらにも興味があり惹かれる人がいる事は、近頃になって理解する事ができるようにはなって来ましたが、この問題が、平安時代頃から、真言宗、天台宗等の大規模寺院において、一般的で衆知の事実であったとは、驚きです。

 理由が、修行の場が山間部にあり、また、女人禁制であったので、と言われてしまうと、何のための修行なのか、本末転倒もいいところだと思ってしまいます。

 「やすら殿」と殿が付いているからと言って、男性とは、考えませんでした。なぜなら、その頃から随分時代を経ますが、淀殿と呼ばれた浅井 茶々の例もありますし、兼好法師が生まれる6、70年前には、北条政子も源実朝の死後に鎌倉殿と呼ばれた時期があるようです。その他に、徳川時代になると女性で殿がついている沢山見られます。

 しかし、ここで「やすら殿」と呼んだ理由が、単なる敬称であれば、男性の可能性の方が大きいかも知れません。

 ですから、大納言法印の嫉妬と捉えられた解釈が一般的で、いわゆる下ネタだそうです。どんな下ネタなんでしょう?

【参考資料】
稚児ちご:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』