文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【222】

 今日の文字は『装飾そうしょく』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百二十一段』を読んで見て、感じた文字です。

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☆『「決裂の裏に日本の影」=米朝会談で韓国野党代表』
(時事通信社 2019/03/03 14:23)

 「【ソウル時事】韓国野党「民主平和党」の鄭東泳代表は2日、フェイスブックに投稿し、ハノイでの2回目の米朝首脳会談について「決裂の背後に日本の影がちらつく。世界の指導者の中で、失敗に歓呼したのは安倍(晋三)首相一人だ」と主張した。日本の陰謀で物別れに終わったという見方を示した形だ。

 鄭氏は「安倍首相は昨年の初の米朝首脳会談以降、一貫して『三つのノー』、つまり、終戦宣言、制裁緩和、経済支援にノーを叫んでいた」と指摘。「こうした主張は(韓国)国内の保守勢力の主張でもあり、ハノイ会談の『撃沈』を狙っていたワシントンの強硬派勢力の考えとも軌を一にしている」と批判した。」

 どういう風に考えると、そんな結論を導き出せるのでしょう。日本にそれだけの力があれば、とっくに拉致問題は解決していると思います。

 韓国は、いったい何をしたいのでしょうか。この記事は韓国の野党と言う事ですが、日本でも、野党は与党に対して、トンチンカンな質問をしているのをよく見かけます。

 国内だけなら、トンチンカンで済まされますが、その質問の内容は、このように世界に発信されます。果たしてその影響まで考えて、野党は質問や記者会見をしているのか、疑いたくなります。

 与党の中でも、意見を言うなら、もう少し国際的な影響も考えて、言葉は使ってほしいと思います。 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百二十一段 〔原文〕

 「建治・弘安のころは、祭の日の放免ほうべんのつけものに、異樣なる紺の布四五反にて、馬をつくりて、尾髪には燈心をして、蜘蛛のいかきたる水干に附けて、歌の心などいひて渡りしこと、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老いたる道志どもの、今日もかたりはべるなり。

 この頃は、つけもの、年をおくりて過差ことの外になりて、萬の重きものを多くつけて、左右の袖を人にもたせて、みづからはほこをだに持たず、息づき苦しむ有樣、いと見ぐるし。

 

『現代文』

『「建治・弘安のころは、祭の日の警備にあたっている下級職が身に付ける衣服の飾りに、風変わりな紺の布四五反で馬を作って、尾っぽとたてがみには灯心を使い、蜘蛛の巣を描いた狩衣かりぎぬを簡略にした衣服を着て、歌の心だと言いながら渡っているのを、いつも見ていましたが、面白く、見事であると言う気持ちでした。」と、年老いた道志たちの間で今でも語り草になっている。

 最近は、飾り物も年と共に身分不相応なぜいたくが増し、色々な重い物を多くあしらい、左右の袖を人にもたせ、自分は鉾さえ持たないで、喘ぎ苦しむ姿は、大変見苦しい。』

 

 

『装飾』

 ここにでてくる、『歌の心』と言うのは、「くものいに荒れたる駒はつなぐとも二道かくる人は頼まじ」と言う歌の心だと言う事です。
(出典:大阪市立博物館・美術館・動物園情報 vol.22

 ここに書かれてある意味は、人の浮気心は繋ぎとめるのが難しいと書かれています。

 ただ、この段で言いたいのは、年を追うごとに装飾が派手になり、情緒もなく、ただ見苦しくなっている、でしょう。

 短いスパンで見ると、確かに装飾は華美になりやすいと思います。逆にどんどんと簡素かされて行く事もあります。

 丁度良い、がなかなか見つけられないのか、どちらにも行き過ぎるのでしょう。

 しかし、時代を長いスパンで見ると、結構波のようにある一定の基準を基に上下しているようにも思えます。

 このような装飾が経済的に許されるのであれば、どっちでも良いのですが、組織の中での役職や部署は、一旦設定されると、なかなか元に戻す事が難しくなります。いわゆる慣例というものです。

 ですから、会社にしても、行政にしても、国の在り方にしても、時々大改革を余儀なくされるのでしょう。

 そう考えると、人間の浅はかさは、学習能力が希薄なのかとも思ってしまいます。

 思い出すと、母がよく 「広げた風呂敷は畳めない」と言っていました。