今日の文字は『祟』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百七段』を読んで見て、感じた文字です。
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祟
☆『小泉元首相が熱弁「なぜ政府は立ち上がらぬ」』
(読売新聞 2019/02/17 12:43)
「小泉純一郎・元首相が16日、松江市の県民会館で講演を行った。脱原発の持論を展開し、約2100人が聞き入った。
島根原発・エネルギー問題県民連絡会などでつくる実行委員会が主催。会場の大ホールに入りきらず、別室のモニターで講演を聞く来場者もいた。
講演で、小泉元首相は「日本の原発は安全だと言われていたが、東日本大震災(による原発事故)でおかしいと思い、原発の本を読み始めた」と現在の持論に至った経緯を説明。「原発ゼロで、自然エネルギーへの転換ができる時代にきている。与野党が協力できる素地があるのに、なぜ政府は(脱原発に)立ち上がらないのか」と訴えた。
福島第一原発事故後、国の方針で脱原発を掲げ、自然エネルギーで3割超の電力を供給するドイツを例に挙げ、「日本は太陽光や風力などに恵まれている。(日本の電源構成で原発が占めていた)30%(を自然エネルギーに変えること)なんて10年足らずで実現できる」と主張した。」
エネルギーが足りるとか、足りないとか、と言う議論は、経済社会においては、重要な問題であるとは思います。
しかし、人間として原子力を扱えるまでに成長しているのでしょうか。私はこの小泉元首相の考え方とは少し違うのですが、まず原子力を今後どうするのかを議論すべきと思っています。
この地球上で、人間が何をしても良いのでしょうか。少なくとも個人が、やっても良い事、悪い事があるように、人類も手を付けてはいけない事もあると思っています。
少なくとも、原子力はその廃棄物の処理も未だに考えが及ばないのに、なぜ推進しようと言うのでしょうか。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第二百七段 〔原文〕
龜山殿建てられむとて、地を引かれけるに、大きなる蛇、數もしらず凝り集りたる塚ありけり。この所の神なりといひて、事の由申しければ、「いかゞあるべき」と敕問ありけるに、「ふるくよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられがたし」とみな人申されけるに、この大臣一人、「王土に居らん蟲、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。鬼神は邪なし。咎むべからず。唯皆掘りすつべし」と申されたりければ、塚をくづして、蛇をば大井川に流してけり。更にたゝりなかりけり。