文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【216】

 今日の文字は『さかな』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百十五段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 

☆『米、北の非核化進展で見返りも 国務長官、制裁は維持』
(共同通信社 2019/02/25 13:51)

 「【ワシントン共同】ポンペオ米国務長官は24日、今月下旬の米朝首脳再会談で非核化に進展があれば、北朝鮮に何らかの見返りを提供する可能性があるとの見方を示した。一方、非核化実現までは経済制裁を維持するとの従来の立場は堅持する考えも強調した。米CNNテレビのインタビューに答えた。

 見返りに関し「制裁は広範な活動を網羅している」とした上で「経済制裁の核である貿易や富の創出を防ぐ措置は間違いなく残るが、できることはほかにもある」と含みを持たせた。具体的な見返りへの言及は避けた。」

 国際社会では、核兵器を公然と持っている国がありますので、国際法上もまだ明確に禁止にはなっていないようです。もちろん、国際法で制定されても、それが守られるかどうかは疑問です。

 ですから、北朝鮮の主張が存在するのですが、なんとか北朝鮮が非核化する方向に話が進めば良いとは思っていますが、何度もこれを裏切って来たのが北朝鮮と言う国である事は、国際的にも知れ渡っていると思われます。今回はどのような結末をむかえるのでしょうか。 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百十五段 〔原文〕

 平 宣時たいらののぶとき朝臣、老いの後、昔語むかしがたりに、「最明寺入道、ある宵の間に呼ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂のなくて、とかくせし程に、また使きたりて、『直垂などのさふらはぬにや。夜なれば異樣なりとも疾く』とありしかば、なえたる直垂、うちうちの儘にて罷りたりしに、銚子にかはらけ取りそへて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ。人は静まりぬらむ。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、紙燭しそくさしてくまぐまを求めしほどに、臺所の棚に、小土器に味噌の少しつきたるを見出でて、『これぞ求め得て候』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく數獻すこんに及びて、興に入られ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。

 

『現代文』

『平宣時朝臣が、年老いてから、昔の事を語り、「最明寺入道から、ある夕暮れ時に呼ばれた事があった、『すぐに』と返答したが、直垂ひたたれの綺麗な物がなくて、あれこれしている間に、また使いの人がきて、『直垂ひたたれなどがありませんか。夜ですから違っていても良いです。直ぐに。』と言われたので、よれよれの直垂ひたたれで、普段着で参上した。銚子に素焼きの器を添えて、『この酒を一人で飲むのも楽しくないので、来るように申しました。肴がないのです。人は寝静まっています。適当な物があるかその辺を探してください』と言われたので、紙燭しそくさして隅々まで探すと、台所の棚に、小さな土器に味噌の少し付いているのを見付け、『これを見つけました』と申しあげたところ、『それで十分です』と言われて、心よく盃を重ねて、上機嫌になられた。そんな時代でした」と言われた。』

 

 

『肴』

 今はどうか知りませんが、私がまだ現役で働いていた頃は、やはり上司に誘われた場合には、断れなかったと思います。

 最近のドラマを見ていると、自分の都合を優先して誘いに応じるかどうか決めているようです。中には、上司とは飲みに行かないと決めているような若者も見られます。

 この段も上司に言われたから、二つ返事で飛んで行ったような状態ですが、この上司は、言葉遣いは相手に対して配慮があるようにも見られます。

 このあたり、現在は、先述したとおり、部下も色々ですが、上司も色々です。上司だからと、「上から目線」で高飛車にもの言う人もいますし、逆に部下に気を使いすぎる中間職の人もいると思います。

 反って、昔よりも難しい人間関係になったのかも知れません。

 しかし、この段も、平宣時朝臣の昔の思い出話ですから、この話を聞いているのが兼好法師だったとしたら、その当時はどうだったのでしょうね。

 この話だけでは、「肴は味噌」で良かったのか、それとも、上司から誘われたら、どんな用事があっても駆け付けたのか。

 あるいは、[最明寺入道]とありますから、すでに時の権力者の座を退いた後の話ではあっても、北条時頼[鎌倉幕府五代執権]もきさくな一面があったと、伝えたかったのか、それとも、何の意図もなく平宣時朝臣の昔話の内容だけを書き記したのか、私の知識では理解する事も難しいようです。

 この話も読み方によって色々想像させてくれますが、ただ平宣時朝臣の、ちょっとした自慢話にも聞こえます。曲解しすぎでしょうか。

 現在でも、自分はそれほどでもないのに、知り合いや親戚が出世していたり、有名人である人の名前を出したり、一緒に写した写真をもとに、自慢する人もいますが、あまり格好の良い物ではないと思ってしまいます。