文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【241】

 今日の文字は『出会であい』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百四十段』を読んで見て、感じた文字です。

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☆『「反天皇制」裁判所の自浄能力注視 調査の甘さ指摘も』
(株式会社 産経デジタル 2019/03/22 22:20)

 「反天皇制」の活動を行っている名古屋家裁の男性判事について、最高裁が調査に乗り出したことが明らかになった。判事の言動は、裁判所法が禁じる「裁判官の積極的政治運動」に抵触する可能性があり、国会などから詳しい調査と罷免を含めた厳正な対応を求める声が相次いでいる。

 産経新聞が今月13日に問題を報道後、国会の裁判官訴追委員会(委員長・田村憲久衆院議員)の委員や衆参両院の法務委の委員らから、「国民の信頼があってこそ裁判の制度は成り立っている。疑念が生じた際は裁判官も説明責任を果たすべきだ」「憲法に守られている裁判官が、その条文を否定する反天皇制を主張するとは信じがたい」「罷免すべき事案だ」といった厳しい意見が出ている。

 「服務規律違反の事実があったことは確認できていない」。最高裁の堀田真哉人事局長は22日、衆院法務委員会でこう答弁した。判事本人が事実関係を否定したためだ。

 産経新聞は、判事が活動に参加している様子を撮影した複数の写真や、団体など多数の関係者への取材を基に報じている。インターネットなどの公開情報で確認できるものだけでも、判事の主張は事実と食い違っている。

 例えば反戦団体「ピースリンク広島・呉・岩国」(広島県呉市)のホームページには、判事が三重県から集会に参加し、実名でスピーチした記載がある。判事は当時、津地家裁四日市支部に勤務していた。

 与党のある衆院議員は「このような裁判官を放置してきた裁判所にも問題がある」と指摘する。産経新聞は昨年11月、名古屋家裁に判事の政治運動疑惑を伝え、見解を質問した。しかし、報道するまでの3カ月以上にわたり、事実関係について「承知していない」の一点張りだった。

 法曹関係者は「裁判所は判事にパソコンや携帯電話の任意提出も求めず、事情聴取して否定されたから終わりというのはおかしい。団体の関係者や判事の休暇の取得状況まで調査すべきだ」と指摘する。

 厳正中立な立場で公正な審判を下す裁判官は、司法の独立を定めた憲法でその身分が手厚く保障される一方、公正であるだけでなく、誰が見ても納得する「公正らしさ」も要求される。別の衆院議員は「国民から国会の訴追委に請求があるのではないか」との見解を示す。

 訴追委は、国民から罷免すべきだとする請求を受け、弾劾裁判を開く必要があると判断すれば訴追する。だが、それ以前に、裁判所のガバナンス(組織統治)と自浄能力が問われている。(大竹直樹)

 天皇制云々を言う前に、まず天皇についての勉強を学校教育に取り入れるべきだと思います。

 でないと、反天皇制を唱える人の大半は、天皇制に対して反対の思想を勉強しているので、世界に唯一残る天皇の意味を理解しないままだと思うのです。

 私も子供の頃から不思議な事だと思っていました。それは、戦乱の世の中を天皇は変わる事無く存在したという事です。

 何度も何度も、その存在を否定する事は出来たと思います。為政者が変わるたびに、本来は無くなっても良さそうなものですが、続いています。

 今となっては、奇跡としか言いようがないと思っています。できれば、このような象徴として天皇制が、国民の総意で続けていければと、思っています。
 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百四十段 〔原文〕

 しのぶの浦のあまのみるめも所狹く、くらぶの山も守る人しげからんに、わりなく通はむ心の色こそ、淺からずあはれと思ふふしぶしの、忘れがたき事も多からめ。親・はらからゆるして、ひたぶるに迎へすゑたらむ、いとまばゆかりぬべし。

 世にあり侘ぶる女の、似げなき老法師、怪しの東人なりとも、賑ははしきにつきて、「誘ふ水あらば」など云ふを、仲人、いづかたも心にくきさまに言ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて來らむあいなさよ。何事をかうち出づる言の葉にせむ。年月のつらさをも、「分けこし葉山の」などもあひかたらはむこそ、つきせぬ言の葉にてもあらめ。

 すべて、よその人のとりまかなひたらん、うたて、心づきなき事多かるべし。よき女ならんにつけても、品くだり、みにくく、年もけなむ男は、「かく怪しき身のために、あたら身をいたづらになさんやは」と、人も心劣りせられ、わが身はむかひ居たらんも、影はづかしくおぼえなん。いとこそ、あいなからめ。

 梅の花かうばしき夜の朧月にたゝずみ、御垣みかきが原の露分け出でむありあけの空も、わが身ざまに忍ばるべくもなからむ人は、たゞ色好まざらむにはしかじ。

 

『現代文』

『しのぶの浦の海女の見る目も煩わしく、くらぶの山も守る人が多いのに、むやみに通う心の色欲こそ、深くしみじみとした趣がある、折々の、忘れられない事も多いであろう。親兄弟が許して、堂々と迎えるのも、たいそう恥ずかしく思うだろう。

 貧困の生活をしている女性が、似つかわしくない老法師や、野蛮な東人であっても、裕福であるという理由で「誘われれば」などと言うのを、仲人がどちらにも心惹かれるように言い、知られず、知らない相手を迎えて来たことも、不本意である。何を話せば良いのか。共に過ごした年月の辛さも「分けこし葉山の」などを語り合う事こそ、つきない言葉になるだろう。

 大体、他人が結婚の斡旋をすることが、気味悪く、不快な事が多いに違いない。いい女であっても、自分に品なく、醜く、年老いている男なら「このようにみすぼらしい男の為に、折角の身を無駄にしてしまう」と、劣等感に苛まれ、一緒にいる事も、きっとその姿は、恥ずかしく思うだろう。なんとも面白くない。

 梅の花の香が香しい夜、朧月に佇み、御垣みかきが原の露を分けて出た、有明の空も、自分の事のように思いめでる事のできない人は、ただ恋の情趣を解さないような人であろう。』

 

 

『出会』

 新古今和歌集に「うちはへてくるしきものは人目のみしのぶの浦の海人あま栲縄たくなはと言う二条院讃岐の詠った句がありますが、これを引用したものでしょう。

 また、『くらぶの山』と云うのは、鞍馬山と暗い山を引っ掛けて云ったのだと思いました。

 少し、箇条書きに要約してみましょう。

  1. 人目を忍んで逢う方が情緒がある。
  2. 裕福である事に惹かれ、仲人を介して結婚しても会話も弾まない。
  3. 仲人を介して結婚するのは気味悪い。
  4. 良い女性と結婚しても、自分を卑下して幸せではない。
  5. 風情が解らない人は恋愛などしない方が良い。

 兼好法師の恋愛観、結婚観ですから、私がどうこう言う必要もないと思うのですが、当時から、仲人と云う人がいたのですね。

 時代によって、結婚の在り方も違うと思います。私が生まれた当時は、恋愛結婚の方が少なかったかも知れません。ですが、お見合いをして結婚したからと言って、会話に困る事もなかったと思います。

 まして、その人達が不幸せとも言えないと思います。恋愛結婚をしたからと言って、必ずしも幸せな結婚生活を送る事ができるとも思えません。

 何より、風情や情緒が解らない人が、恋愛をする権利がないような書き方ですが、「ほっといてくれ」と声が聞こえそうです。
 

 このブログの『文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【108】』にも書きましたので、ここでも同じ内容を載せておきます。

 『人は、言葉を交わす直前に、好きか嫌いかを決めていると、恋愛の仕組みを研究している人がいるようです。その時間は僅か、0.5秒。脳科学者の茂木健一郎氏は0.1秒説を唱えています。』と 論語を読んで見よう【雍也篇6-26】 に書きましたが、これは自分の意識ではどうする事もできない、コントロール不能の世界です。
 これは、「恋」に限った事でしょうか。永年考えた結論は、違います。それは、「意識する人」に対して抱く、妄想だと思っています。  なぜ「妄想」と思うかと言いますと、自分が理想とする偶像を作り上げてしまうからだと思っています。理想とまでは、行かなくても、自分が好ましいと思う、人柄をイメージしてしまうのです。それも、何の根拠もなく。

 茂木健一郎氏の言葉を借りれば、0.1秒で決めつけてしまうのが、人間なのでしょう。その決めつけは、なかなか覆す事ができないのです。なんせ理論的に決めた分けではありませんから、考えて直す分けにはいかないのです。