文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【73】 2018年10月2日 / zuishin / コメントする 今日の文字は『多た』を草書で書きました。〔多おおい〕という文字です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第七十二段』を読んで見て、感じた文字です。 原文 現代文を見る 多 今朝の時事通信社の記事に『熊本市議問題、英でも報道=「束縛社会」と批判』と言う見出しがありました。 朝日デジタル(2018/09/28 20:54)に『「のどあめ」なめて登壇、懲罰動議に発展 熊本市議会』という記事を2018年9月29日のブログで取り上げましたが、その問題をイギリスでも取り上げられたのですが、私の考えとは、真逆のものでした。 熊本市議会の緒方夕佳市議が退席を命じられたのは9月28日。ですが、昨年の11月にも子連れで議会に出席して退席を求められたそうです。 確かに国際社会では、『のどあめ』も『子連れ』であっても許されるのかも知れませんが、日本では『襟を正す』習慣があります。そういう民族性までも、国際社会では、批判されるのでしょうが、日本は日本の良い所は、残しておいた方が良いと思います。 この問題と『女性の活躍』の提唱とは、関係のない話です。混同して批判をされていると思います。 これは、男女差別ではなく、議会というものに対して、真摯な態度で臨む、日本人の礼儀の表し方と思います。 色んな面で国際社会と協調していくことは、難しいと思います。同じ環境で育ったと思われる日本人同士でも、左と右、そして中道と、考え方は千差万別ですから。 日本人は日本人としての誇りを捨てては、国際社会と協調など出来ないと思います。それは、どこかの国の考えを押し付けられた、どこかの国の属国となる道への模索をしているように映ります。 日本は、日本であって欲しいと思う事も、許されなくなる時代が来るのかも知れません。 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。 徒然草 第七十二段 〔原文〕 賎いやしげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持佛堂に佛の多き、前栽に石・草木の多き、家のうちに子・孫こ・うまごの多き、人にあひて詞の多き、願文ぐゎんもんに作善さぜん多く書き載せたる。 多くて見苦しからぬは、文車ふぐるま※の文ふみ、塵塚の塵ちり。 『現代文』 まず、我流で現代文にしてみましょう。 『下品な物。居る場所の辺りに調度品の多い事、硯に筆が沢山置かれている事、仏壇、仏間に仏像が沢山置いてある事、庭先に草や木が多く植えられている事、家の中に子や孫が大勢いる事、人に会って話す時に言葉数が多い事、神仏に祈願するための願文に善行を書き連ねている事。 多くても良いのは、文車ふぐるま※。ゴミ捨て場のごみ。 』 【参照】 文車ふぐるま※:室内などで書籍類を運ぶために用いる、板張りの小さな屋形車。 (出典:学研全訳古語辞典 学研.) 『多』 それは、なんでも多ければ良いと言うものではありません。いつも言っていますが、「足るを知る」事は大切な生き方だと思っています。 下品なものかどうかは、分かりません。それは時代によって受け取り方が違うでしょうから、一刀両断に下品とは断定出来ないと思います。 ここに掲げてある下品なものを見て見ましょう。 1.調度品。 2.筆。 3.仏像。 4.草木。 5.子・孫。 6.口数。 7.善行。 下品で無い物。 1.書物。 2.ゴミ。 これだけ書いても、異議を申し述べたくなります。 ですから、一つづつ検証して見ます。まず下品な物から見ましょう。 1.調度品 現在では[豊か=物]で評価されています。ですから、家族のいる家庭で、テレビや洗濯機、掃除機、冷蔵庫が無い家がどの位の割合でしょうか。 テレビが96.4%、冷蔵庫が98.1%、電子レンジ96.1%、[平成26年全国消費実態調査]ですが、その他エアコンでさえも、86.4%、いずれもほとんどの家では、物があふれている状況です。 しかし、これが下品かと言うと、そうとも思えません。 私は、現在の環境に合わせて必要な物は、必需品として考えています。そして、必要のない物を、経済力を見せびらかすために、家の中に溢れているとしたら、やはりそれは下品ではないかと思います。 2.筆 これは文具と考えても良いかと思います。今ではコンピュータもスマートフォンも含まれるでしょう。 私の場合は、たまたまお習字を始めましたから、筆もありますが、コンピュータも必要な分だけ複数持っています。 確かに筆の場合は、先日購入した筆なんかは、私にしては清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入しましたが、筆の金額で高額な物は、とても手が出ません。こういう物は贅沢品ですから、やはり下品だと思います。 3.仏像 家の中に沢山おいてある家を想像する事は出来ませんが、仏間が別にある家は、私も知っています。その部屋は、仏壇を置いてあるだけで、仏事にしか使用される事はありません。 こういう部屋は、現在では贅沢と思われても仕方がないかも知れません。 ただ、宗教や地域によっては、一つの部屋の大きさがある仏壇を設置している事もありますので、これを外部から批判する必要もないかと思います。 4.草木 都会では庭のある家が少なくなりましたが、前に住んでいた家は、前の庭と中庭がありました。 この庭の敷地に家が二軒建つほどの広さがありましたし、草木も一杯繁っていました。これは一つのステータスですから、下品と見る人は下品と評価するでしょうし、趣があると思う人もいるでしょう。 私の私見ですが、家の前にこれ見よがしに飾り立てて、花を咲かせる事は、目を楽しませてくれますが、その家の敷地外に、人が通るのを妨げるような花や木を並べ立てても、上品とは思えません。 5.子供・孫 私の父は6人兄弟姉妹でしたし、母も6人兄弟姉妹でした。これは、時代がそんな時代だったのでしょう。私は2人の姉弟でしたし、妻の家は姉と弟の3人でした。そして私の子供は姉弟の2人です。 これは、多いから下品と言うのは、兼好法師の主観だと思いますが、時代背景がありますので、一概に言う事は出来ません。 ただ国策で産めよ増やせの時代がありましたし、今でも経済的な発想で子供の数を決めるのはどうかと思っています。 私は、少子化については、自然が一番だと思う方です。 6.口数 口数は少ない方が良いですね。と、今は思っています。出来れば、見習いたいと思います。 若い頃に、口数の少ない人を卑怯だと思っていた事もあります。自分の言いたい事を、人に憶測させて、悦に入っているのではないかと、思った事がありますし、逆に「頭、悪いんちゃうか!」と思ったりもしました。 会話が弾まないとイライラする事も度々ありました。 これは、育ちのせいだと思っています。大阪の商売人の子として育ちましたから、間がもてないのです。 話と話の間にある空白が、なんとも耐えられなくなります。ただ、こう書いても、言い訳にしか聞こえません。 よくサービス精神と言いますが、私の場合は、違うのです。単に「間が持てない」のです。「間が怖い」と言うのでもなく、間が空くと反射的に喋るのです。 近頃は、歳のせいか、少し落ち着きが出て来たと思うのですが、沈黙を少しは我慢できるようになりました。 それでも、人といる時の沈黙は好きではありません。できれば話したり聞いたり、絶え間なく会話が弾む方が、好きです。 「口は禍の元」と、40年間ほど前から自重するよう、自分に言い聞かせていますが、40年掛けても、話し始めると喋り過ぎます。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言う事は、百も承知のはずなのですが。 兼好法師から、下品と一喝されそうです。 7.善行 よくご祈祷をお願いすると、宮司さんが祝詞のりとを上げる時に、住所や名前を読み上げて、どのようなお願い事をするかを読んでもらえるのでが、写経をする時も願文ぐゎんもんを書く事があります。 ようするに、この願文ぐゎんもんを書く時に、自分がした善行を書き連ねて書くと、下品だという事です。 願文ぐゎんもんでなくても、善行は、隠れてするから箔がつくのではないかと思います。 たとえば寄付行為にしても、名前を出してしまうと、節税対策か売名行為と取られても仕方がないと思います。 寄付行為だけではなく、 人が喜ぶような事を、さりげなくされると、感謝の気持ちも倍増すると思います。 日本人の奥ゆかしさを感じるような、善行の仕方をしたいと思います。 でなければ、やはり下品と言われても仕方がないですね。 では、下品では無い物を見て見ましょう。 1.書物 ここでは、文車ふぐるま※に本が沢山積んである事については、下品では無いと兼好法師は言っているのですが、現在の習慣では、本屋さんか、あるいは図書館のような場所でしか、本を手押し車に乗せて運ぶ事んでいる様子を想像できません。 また、なぜ沢山積んである事が、上品なのかも見当が付きません。 これを文車ふぐるま※に本が積んであるのではなく、蔵書を沢山持っていると捉えると、理解出来ます。要するに本をたくさん持っている事は、知識がある事ととらえたのでしょう。 通常はそう考えるのがもっともな話ですが、私の場合は積読が主ですから、その推測はハズレでしょう。本は読まなければ、その用を足しません。 しかし、兼好法師の時代は、書籍と言っても今のように流通は簡単でなかったと思いますし、書籍の価値も今とは随分違ったと思いますから、早計には判断できないと思います。 2.ゴミ なぜ、ゴミが沢山ゴミ捨て場に積んであることを、下品ではないと、兼好さんは思ったのでしょう。 ゴミの焼却炉が、日本で初めて出来たのは、福井県で1900年と言いますから、明治時代も終わろうとしていました。という事は、それまでのごみの処理は、風呂屋や家庭の風呂の燃料として使われていたようです。 今ではすっかり行政のお陰で、綺麗に掃除が行き届いている大阪の河川ですが、私が学生の頃には、ゴミ捨て場となっていました。 しかし、私の父の時代には、そのゴミ捨て場と思われるような河川で、泳げたと聞いていますから、都会でも急に生活のゴミが増えたのかも知れません。 ゴミの問題が、日本で本格的に考えられるようになったのは、1600年頃からですから、江戸時代の初期であると考えられます。 ですから、兼好法師の時代では、塵塚と呼ばれる所があって、そこにゴミは捨てられていたのでしょう。貝塚は聞き覚えがありますが、塵塚と言う言葉は今回初めて知りました。 これを上品とは言わずに、多くても構わないと言っているのだと思います。塵塚はゴミを捨てる場所なので、否定する事は出来なかったのでしょう。というか、ゴミ問題を問題にする必要がなかった時代だと思えます。 鎌倉時代の人口は、推定757万人(出典:鬼頭宏(2000)「人口から読む日本の歴史」 講談社学術文庫.)となっていますので、大阪府の人口は、8,826,524人(2018年8月1日現在)【大阪府発表】ですから、現在の大阪府の人口の方が、鎌倉時代の全人口より100万人も多い事になります。ですから、まだゴミの問題を考えなくても良かった時代です。 ですから、その辺にゴミを捨てるのは良くないですが、塵塚に捨てるのは、ルールを守っている事になりますから、良い行いであったのだと思います。 今風に言えば、『ゴミはゴミ箱に』と言う、貼り紙見たいなものだと思います。 この段は特に、鎌倉時代から室町時代にかけての生活が、想像できるものでした。