文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【20】

 今日の一文字は『節』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第十九段』を読んで見て、感じた文字です。

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 一時の強烈な暑さは少し和らいだ感じですが、台風のせいか、蒸し暑い日が続いています。

 こんな時にこそ、熱中症対策を怠らずにしましょう。

 私は、南部鉄瓶で沸かした水を飲んでいます。まだお湯の時は、その中に梅干しを入れて飲んでいます。お酒は飲みませんから、お湯割りではなく、お湯に梅干しです。 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第十九段 〔原文〕

折節の移り変わるこそ、物ごとに哀れなれ。

 「物の哀れは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それもるものにて、今一きは心も浮きたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやうやう氣色けしきだつほどこそあれ、折しも雨風うちつゞきて、心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、藤のおぼつかなき樣したる、すべて、思ひすて難きこと多し。 

 「灌佛のころ、祭のころ、若葉の梢 涼しげに繁りゆくほどこそ、世のあはれも、人の戀しさもまされ」と、人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月さつき、あやめ葺くころ、早苗とるころ、水鷄くいなのたゝくなど、心ぼそからぬかは。六月みなづきの頃、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月はらえまたをかし。

 七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、鴈なきて來る頃、萩の下葉色づくほど、早稻田わさだ刈りほすなど、とり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、同じ事、また、今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつり捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

 さて冬枯の景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。みぎわの草に紅葉のちりとゞまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の寒けく澄める、二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名おぶつみゃう荷前のさきの使立つなどぞ、哀れにやんごとなき、公事ども繁く、春のいそぎにとり重ねて催し行はるゝ樣ぞ、いみじきや。追儺ついなより四方拜につゞくこそ、面白ろけれ。晦日つごもりの夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半よなかすぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無きを、東の方には、なおすることにてありしこそ、あはれなりしか。

 かくて明けゆく空の氣色けしき、昨日に變りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『季節の移り変わりこそ、物事をしみじみ味わう事ができる。
「ものをしみじみ味わうには秋が良い」と人々は言うが、それもそうだが、それに勝り、心も浮き立つものは、春の自然の様子であろう。鳥の声なども格別に春らしく、のどかな日差しに、垣根の草の芽を出すころから、春が深くなり一面に霞がかかり、桜の花も次第に春らしく咲くころであるが。その時に雨風が続き、急いで散っていく。青葉になってしまうまで、何事につけても心を悩ます。橘の花は有名ではあるけれど、梅の匂いの方が、昔の事を思いだし、恋しく思い出される。山吹が清らかに咲いているのも、藤の花のぼんやりとはっきりしない様子も全て捨てがたい事が多い。

灌仏かんぶつ※のころ、祭りのころ、若葉の梢涼しげに繁るころこそ、世の中の深いしみじみとした感動や、人を恋する気持ちも増す」と、言われているが、まさにその通りである。
五月にあやめを葺くころ、早苗をとるころ、水鶏が鳴く声など、心細く思う。六月のころ、粗末な家に夕顔が白く見えて、蚊遣火がくすぶっているのも風情がある。六月祓みなづきばらえ※もまた情緒がある。

※灌仏:釈迦の誕生像に香湯や甘茶をそそぐこと
※六月祓:陰暦六月の晦日(みそか)に、半年間の罪や汚れを清めるために行う神事。川原や海辺などに出て「茅(ち)の輪(わ)(=茅(ちがや)の葉を編んで作った輪。災禍を除く力があるという)」をくぐったり、人形(ひとがた)で体をなでて、それを水に流したりして祓えをする。翌七月一日からは秋となるので「夏越しの祓へ」といい、また、「水無月(みなづき)祓へ」「夏祓へ」ともいう。(出典:学研全訳古語辞典 学研.

七夕をまつるのは優雅な事である。徐々に夜が寒くなって来る季節、雁が鳴いて渡ってくる頃、萩の下の方にある葉が黄色く色づく頃、早稻田を刈り取って干すなど、興味深い事は秋ばかりに多い。又、台風が去った次の朝などは情緒がある。

言って見れば、みんな源氏物語・枕草子などに語りつくされているが、同じ事をもう一度言ってはいけない事もないだろう。思う事を口に出さないのは、腹が膨れてしまうので、筆にまかせて書いても、つまらない事であり、書いても直ぐに破り捨てるものであるから、人に見せられるものではない。

さて、冬枯の様子こそ秋と比べても、ほとんど劣らない。水際の草に紅葉が散りばめられ、霜がたいそう白く降りている朝、遣水やりみず※から立ち上る水蒸気こそ情緒がある。年の暮れに人々が忙しくしてる様子にも趣がある。
殺風景なものとして見る人もいない月が、寒々として澄んでいる、20日ごろの空は、心細いものである。
御仏名おぶつみょう※荷前のさき※の勅使が立つなど、趣深くて尊いものである。
公の行事が多く、新春の準備と重なって、行事が行われている様子はすさまじい。
追儺ついな※から四方拝しほうはい※に続けて行われるのが興味深い。晦日の夜はとても暗いのに、松明を灯して、夜半過ぎるまで、人の門を叩き、走り、何事かあるかのように、物々しくののしり合って足を空に乱れさせ、明け方にはさすがに静かになるが、年の名残り惜しく思い返すのは寂しいものである。亡くなった人がくる夜も、魂を祭る行事も最近都では行わないが、東の方では今でも行っているのは、情緒がある。

こうして明けて行く空の景色、昨日と変わったとは見えないけれど、なんだか変わって新しい心地がする。大路おおじ※の様子は、門松を並べて華やかで嬉しそうで、また情緒が深い。』

遣水やりみず:(1)庭園などに水を導き入れて作った流れ。(2)植え込み・植木鉢などに水をかけてやること。水やり。灌水。
御仏名おぶつみょう:12月19日より3日間仏名経によって三世の三千の仏の名前を3日間唱えて、罪の消滅を祈る法会。宮中でも室町時代まで恒例の行事として清涼殿で行われた。
荷前のさき:古代、諸国から来る貢ぎ物の初物。これを朝廷から伊勢大神宮をはじめ諸陵墓などに奉った。
追儺ついな:悪鬼・疫癘えきれいを追い払う行事。平安時代、宮中において大晦日に盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったという。節分に除災招福のため豆を撒まく行事は、追儺の変形したもの。鬼やらい。 [季] 冬。
四方拝しほうはい:一月一日に行われる皇室祭儀。四大節の一。明治以前は元旦寅の刻に天皇が清涼殿の東庭で属星ぞくしようを唱え、天地四方・山陵を拝して年災を払い、五穀豊穣・宝祚ほうそ長久を祈った。現在は神嘉殿の南座で伊勢皇大神宮・天地四方に拝礼する。陰陽道おんようどうに由来。 [季] 新年。
大路おおじ:幅の広い道。大通り。
(出典:大辞林 三省堂.)

 

『節』

 本当に季節感が無くなりました。

 今は、只々暑い夏が続いています。台風も早くからやってくるようになったような気がします。

 これは、生活環境によるものかも知れません。時代の変化かも知れません。私にはどちらなのか分かりませんが、私の現在の生活では、四季折々の行事が無くなりました。

 文化的な生活と言いますが、今は経済的に余裕がある分けではありません。不自由な分けではありませんが、四季折々の行事を行う余裕はありません。

 私の育った環境では、四季折々の行事を母がやっていました。

 思い出すと、色々あります。月の初めには、「御一日おついたち」と言って神棚の榊とか、米とか酒などを替えていたように思います。家の中の神棚と庭にあるほこらの掃除をして替えていました。

 お正月には、沢山の人が家に来て、お年玉を沢山もらった記憶があります。

 そして、七草がゆを食べ、十日えびすに家族で行き、3月にはお雛様を飾り、5月になると端午の節句の人形を飾り、夏になると、ふすまを外し、御簾みすと交換します。

 秋にはお供え物をして月見をし、年の終わりころになると、畳みを上げて大掃除、そして、お正月の用意の為に、百貨店に買い物に行きました。

 物心ついてからお正月には、下着から上着、履物まで新調してもらった事を覚えています。

 これは、経済的な余裕があったから出来たのだと思います。

 しかし、そんなに裕福でなくても、昔は風情があったように思います。やはり、懐古的に郷愁を感じているだけなのでしょうか。

 

『花』

 季節には、花がつきものです。

 妻も華道の師範ですから、経済的に許せば、お花を生けるのでしょうね。時々、狭い玄関に、頂いたお花を生けています。

 私は全くそういった趣味は無いのですが、母も、ひと月の間に何度もお花を生け替えていました。

 ですから、玄関、小さな和室、応接間、床の間や居間など、それぞれに四季折々の花を生けていました。そうそう、トイレにも必ず花が生けてありました。これは、前に住んでいた家の事です。

 庭には、桜や梅の木がありましたし、季節に応じた花が咲いていました。

 今は、ベランダに妻が時々花を咲かせています。前の家から持ってきた、バラと観音竹が生き残っています。今年は葉大根を植える計画です。