『花時謳うべし』を書く

 毎日このブログを更新していた時から、すでに1カ月以上経ちました。

 今日は、今から四十数年前、故佐々木武先生から道場生が覚えるように指示された『花時謳うべし』を書いて見ました。

 きっかけは、次の髓心会会長礒田正典氏が、初期の道場生中田善久氏と話した事に起因します。

 両人はすべて記憶していると言う事で、すごいと思った事でした。

 私は、それから何度も引越しをしているので、あるかないか判りませんでしたが、私の姉に書いて貰った物を見つけました。姉は毎日書道展の無鑑査でしたから、私から見ると相当の書家です。

 何度も読み返しましたが、あまりの達筆で読めない文字もありました。そこで礒田氏に聞いて見ましたが、中田氏が全文覚えていて、その文言と書を介して読み解く事が出来たと思っています。

 まずは、両名の記憶力に驚くと共に、感謝を述べたいと思います。本当にありがとう。残念ながら私は少し覚えている程度でした。

 『花時謳うべし 
   謳うて俗なるべからず
  青春奏すべし 
    奏じて卑しきを許さず

  吾に理想あり 
     富嶽とその秀を競い
  吾に操守あり 白薇その純を象る

  ぼつぼつたる雄心 雌伏を事とせんや
  英気宇宙をのんで 識見古今をなみす
  いうなかれ麤枝大葉 
       天下に用なしと
  研鑽の利刀 豪を割き 糸をうがつ

  青年由来意氣に聚る
  嶽陽涼院致道のところ
      八百の健児その氣一なり
  
  春爛漫紅紫野にもえて
         瑞芳漂うの日 
  秋粛々名月空にさえて風物白きの夕べ
   などか書屋にひそんでこの好機逸せん

  時は今なり立てよ友 
    いざ手を拍ちて賛歌うたわん』

  以上が両名と姉の書を頼りに紐解いた原文です。
  これを元に書いて見ました。


  
 私なりに解釈したものを下に載せました。

 『物事が旬、すなわち一番良い時期には、
   その事を称えるのは良いが、品位を無くすようではいけない。

  青春は大いに楽しむのは良いが、これも下品であっては良くない。

  私には雄大な富士山と競うような理想がある。

  私には、薬用植物がまじりなくかたどるように、信念を堅く守る。

  自然と湧き上がる気持ちは広がり、物事に正しい判断を下す力になる。
    これは、昔も今も変わらずあなどれない。

  大雑把な、いい加減な事を言うものではない、
    そんな事は世の中の役に立たない。

  良く磨いた刀は、大きく勢いがある者を砕き、
    しかも細かい所に目が届く。

  青年はもともと、
   事をやりとげようとする積極的な気持ちを持つ習性がある。

  人々が集まり大きな目的を持つと道に至り、
        多くの青年の気持ちは一つになる。

  美しい所や評判の良い日を選んで
    中秋の名月が空に冴えわたる時、厳かな気持ちで、
     かつありのままの状態で書斎にこもっていては
    この好機を逃してしまう

  時はまさに今、心ある者達は集い手を打って賛歌を歌おう』

 このように解釈しましたが、これが正しいかどうかは定かではありません。

 例えば、『富嶽』と言う文字を一般的な「富士山」と捉えましたが、「富」と「嶽」に分ける事もできると思うので、初めは分けて考えていました。しかし、ここでは、富士山と競うような気持ちで引用したと考えを変えました。

 また、『白薇びゃくび』と言う言葉も「白璧微瑕はくへきのびか」を略したとも思いましたが、これも薬用植物を純粋な物として引用したと捉えました。

 『嶽陽』と言うのは、昔の中国の湖南省、洞庭湖の北東岸にある河港都市だそうですが、私は所謂都市、人の集まる所と捉え、『涼院』も人が目的を持って集まる建物と解した次第です。

 あるいは、『致道』と言う言葉も、論語にある「君子ハ学ビテ以テソノ道ヲ致ス」から来たものと解釈しています。

 この解釈があっているのか、それとも間違っているのか定かではありませんが、私はそのように思いました。

 ですから、自由にこの一文を紐解いて、自分の生き方に少しでも役立てれば良いと思います。

 そして、一番感じたのは、時代によって、あるいは国によって、考え方に、かなり隔たりがあるように思った事です。例えば、『白髪三千丈』のように。

 物には仕方があるように、考え方にも違いがあると言う事だと思います。

 そういう歴史上の背景を考えたうえで、この一文は読むべきだと思っています。

 ただ、この一文を読んで、若いとか、青臭いと思わない事が大切なのだと、私は思っています。

 若い頃から、物事を斜に構えて見る人は、何も解決できないと思っています。人から見て馬鹿げていると思われても、問題に真摯に向かい合い、正面から取り組む事を大切にしています。

 ですが、この『花時謳うべし』の一文がいつの時代で、誰の作かわからないのが残念でなりません。

 すでに古希を過ぎ、人生もあと僅かを残すだけとなった今、死ぬまでこのような気持ちを持ち続けられる事を願っています。