空手道の名言 Part-7

 今日も松濤二十訓の中から「空手は義のたすけ」と言う言葉を書いて見ました。ひらがなの部分は変体仮名を用い、漢字は草書で書きました。

 「義」と言う言葉は、あまり聞く事も無くなりましたが、昔は「大義」のためとか、「義を見てせざるは勇無きなり」などと言う言葉を使ったようです。

 私の幼少期には「正義の味方 月光仮面」があり、意外と正義と言う言葉を聞いた記憶があります。

 そこで、「義」と言う言葉を辞書で調べて見ました。

  1. 儒教における五常の一。人として守るべき正しい道。道義。
  2. 道理。条理。
  3. 意味。意義。
  4. 教え。教義。
  5. 血縁上のものでない義理の関係。
    [デジタル大辞泉]

 ただ、この「空手は義のたすけ」の「義」は、1.にある「人として守るべき正しい道。」であると思います。

 では、正しい道とはどう言う事を言うのでしょう。価値観が多様化して随分経ちますから、一口に正しい道と言っても人それぞれに違ったイメージを持つようになりました。

 そこで、私は「正しい道」と言う言葉を、社会的な生き物として共存共栄できる道、すなわち、独りよがり、自己満足では無く、生きとし生ける物にとって有益である事が、「正しい道」であると思います。

 ただ、『空手』を『道』としてやれば、この『正しい道』を歩めるのでしょうか。

 そうではないと思っています。やはり、そこには目的や目標、スローガンなど、何か思い描けるものが必要になるでしょう。

 ですから、「空手は義のたすけ」を正しい道にするために、あるいは、正しい道のたすけになるように、常に念頭に置かなければならないと思います。

 また、「たすけ」と書いてありますから、『義』を行うための拠り所となってくれるのでしょう。

 そういう意味が内在していると思ってこの一条を理解して実践する必要性を感じています。